師匠ソムアン・サラサスのこと


 都下、吉祥寺の井の頭自然文化園にはな子というゾウの老嬢がいます。

 飼育係の方の談によると、ずいぶん手間の掛かるゾウさんだそうです。

 はな子がタイから日本へ来たのは昭和24年のことですが、同じ時期にインドから来たインディラの贈り主が当時のネルー首相だったことはよく知られているものの、はな子の父親がどんな人物であるのか、ほとんど知られていません。

 本来であれば、「タイだから、きっと私生児なのだろう」・・・と受け流したいところですが、そのオヤジ(寄贈主)というのは私にとって或るキナ臭い事件のおり、混乱の中で知遇を得た地政学、及び用兵術の師匠、ソムアン・サラサス大尉でありました。

 まあ、敗戦国の子供のためにゾウを贈って寄こすくらいだから、きっと優しいタイ人なのだろう、
と思われる方もいらっしゃるかも知れぬが、気風の良さはともかく、突然「六十億円集めて農業団体を立ち上げよう」やら、「二ヘクタールの土地をタダで手に入れてやるから地主の娘(レズ)と明日までに偽装結婚しろ」、果ては「クーデターを起こすから、お前が外人部隊を指揮して記者クラブを占拠しろ」などと、平気で過激な無茶を言い出すような、

 …まあ、晩年は一言で言って、ずいぶん手間のかかるジジイであった。




 平成5年7月1日。ソムアン氏(前列車椅子)、井の頭自然文化園ではな子と再会。
ちなみに子息のウクリッド氏(後列左端)は、ボクシングファンのあいだでよく知られたレフェリーである。




 あくる7月2日、全日空ホテルで開催された大パーテーでは、福田赳夫元首相(故人)が歓迎の辞を述べた。




宴のあと。招聘委員を勤めた現「和歌山の塾長」(右)と・・・


  
日タイ攻守同盟締結(写真右)    ニューロードへ進駐する我が軍(写真左)

 まさに「クーカム(メナムの残照)」の舞台裏を歩いてきたソムアン大尉は、晩年まで常識外れな「策士」の姿勢を貫いた。

 南沙諸島を最悪のクラッシュゾーンからアジア世界の安全保障の策源地へ転用してしまう計略を立案した。
 そのための切り口が、「農業団体」だった。
 南シナ海と農業が、どうして安全保障に結びつくのか、
 傍目にてんでバラバラな因子が係でつながる方程式が封印されたブラックボックスは、残念ながら、現時点ではからくりを公にするわけにいかない。ただ、これを糸口に夜の永田町へ帰参が叶った私は、一時帰国を繰り返し、当時ご健在だった末次一郎先生や新樹会の皆さんをはじめ、大勢のお歴々に、沖縄や北方領土を本土復帰させるに勝るとも劣らない手数をおかけした。

 私には確信するところがあったのだ。
 計画には実現困難な点も多かったが、基礎認識となる見通しは非の打ち所が無かった。
 たとえ世間から孤立しようと、自分なりに大尉の志を継承しようという気になった。

 だから、いまでも「師匠」と呼ぶことにしている。
 


 
左右の写真を、それぞれクリックしてみてください・・・

 井の頭自然文化園のはな子とスクムビット通り31ソーイのサラサス本家(左手の白い金網)




スクムビット通り38ソーイにある、ソムアン大尉最後の自宅。




土砂降りの日、秘書さんから電話で呼び出され、すわ何事かとずぶ濡れになって参上すると、
「パズルを作った。どうだ?きれいだろう」・・・発作的におっとつぁんを絞め頃したくなった。




「日本政府から勲章をもらってあげましょう」と約束したものの、力及ばず、せめて宮内庁筋から英国のチャールズ皇太子
贈られた作品と連作になっている篠村御馬画伯の一幅をまわしてもらった。感想は、「ところで、叙勲はどうなった?」



平成8年4月28日 朝 帰幽 享年84歳



 朝食のパンを喉に詰まらせて、病院に担ぎ込まれたが、寿命だったようだ。
前日の夕方、自宅に床屋を呼んで身だしなみを整えていたらしい。

 二日前に会っていた。
 頼りない政権がめまぐるしく変わる日本の世情と国民の不見識を憂いていた。
いつものように、「大きなお世話です」と、啖呵を切って暇乞いしたのが今生の別れとなった。

 癌が全身に転移して、五回か六回手術を繰り返し、なんやんやで十年以上生きていた。

 「ようやく妖怪タヌキがくたばりやがった !」
 膝を叩いて笑ったけれど、二十数年ぶりの涙が出てきた。





  平成8年5月、ソムアン氏の葬儀が行われたラチャブラナ寺

 生前のソムアンに平身低頭していたタイ人は、斎場でこちらの姿を認めると揶揄してきた。
 「喧嘩相手が天国に行ったから寂しいだろう?」
 白い布をかぶせた棺桶にガンを飛ばしながら、言い返した。
 「天国? 誰が?・・・あの爺さんの行き先は地獄だよ。女房を八回も取り替えたんだから」
 罪状はそれほど豪気ではないが、自分だって天国に入る資格は失って久しい。
 地獄で出くわした時、あちきの見通しのほうが正しかったでしょう? と胸を張りたい。
 だが、所詮、タマサート大出身のオカマ税理士ふぜいには、士道を美風と尊ぶもののふの心情など、永劫理解できる道理もない。
 日本の天邪鬼は、それ以上何も反駁する気が起こらなかった。
 やっぱり、むなしかった。

 ソムアン・サラサスは、生まれこそタイランドだが、正真正銘のサムライだった。
 傍らで様子を見守っていたエカウィットが、ぽつりとコメントした。
 「ナーチャ・タロカンイーク・ティーナロク(この人たちは地獄で会っても、また喧嘩するさ)」
 

 

 典範業者が大尉時代に撮ったソムアン氏の遺影を設置する。 葬儀委員長は友人のアナン元首相

黄色い大地

日タイの歴史を動かした親日家 象のはな子の育て親、逝く/バンコク週報

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