黄色い大地



 晩年、大尉は「黄色い大地」という自伝を著した。
 非売品というところが如何にも不特定多数の読者を見込めない出版小国・タイらしいけれど、汪兆銘との意見交換のシーンに見られるように、その内容は歴史の転換期にその場に居合わせた第三者(日本人以外)の「見識」であり、むしろ昭和の日タイ裏面史や第二次世界大戦の背景を研究する日本人に意義を見出されるかも知れない。
 いまやタイはまがいなりにもアジアの中堅国。一般大衆も、これまでのように発展途上国のペースに浸りきったお気楽は許されない。そんなわけで、やっぱり心あるタイ国民には是非読んでほしいと思う。

 とりあえず、同書に収録されている画像をスキャンし、掲載しておこう。


昭和24年10月。上野動物園で、はな子に餌やりの図。



講道館で稽古(背負い投げをしているほう)。右は三船十段との記念写真。


昭和36年ごろ。特別円バーツ交渉のさなか、拓殖大学で地政学を講義する。




 第二次世界大戦が終わったころ、30代のソムアン大尉。直後に、なかなか自分を昇進させないタイ国陸軍に三行半を突きつけるが(ふつう、情報将校って、そういう宿命なんじゃないか?)、この男前写真は本人のお気に入り。葬式の遺影や生涯パスポートで使用していた。



平成5年。我々のグループで作った翻訳冊子。




平成5年ANAホテルにおける
歓迎パーティーの様子


師匠ソムアン・サラサスのこと 昭和33年井之頭のはな子

日タイの歴史を動かした親日家 象のはな子の育て親、逝く/バンコク週報



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