まつり当日の天候は曇り。 予報では大雨になると言われていた。 いつ底が抜けるか判らない空模様に、 さしもの明太郎サンもハラハラする… 「せめて半日、空を支えていておくれよ」 天をあおいで、真面目に地元の亡き友に頼みこんだ。 |
公館からラチャカーン(お役人)たちが来る。 本国への報告書に妙なことは書かれたくない。 バンコクの本省にナメられないよう、 本格的なタイ料理の備えは怠るわけにいかなかった。 gooで知遇を得たばーど(tongchai)先生のご紹介にあずかり、 町田(厳密には相模原市)のサラのママに加勢をお願いした。 |
大阪からスポット総領事が到着する。 商店街の皆さんは総領事と面識がない上、段取りで手一杯。 モンコンさんも現場を抜けられない。 仕方がないので、私がお出迎えのボランティア。 総領事は、いちおう目印の赤いネクタイをつけてきた。 同行者は川田建設の滝川さんと タイ国際航空の中部地区支配人のチャチャイさん。 |
さて、会場に戻ると長政公もスタンバイ。 …普段の「学習塾の先生」は、仮の姿である。 |
モンコン領事は、金正日のごとく仕切りまくっている。 …で、左のスタッフ衣装が吉沢さん。 |
エキシビジョンマッチは、「はまっこムエタイジム」。 …内心、"まさか!"と興奮しつつも、 "どーせスーパー301条をすり抜けた偽物だろう ( >▽)ゞ ふぁ〜〜" と、ある程度諦める覚悟はしていたが…本物だった。 (;´Д`)ハァハァ・・・イカすぜ、ユタポン兄貴! さすがは大使館。えげつないまでのチカラである。 今度は本国からカリプソも呼んでもらおう。 |
…お膳立ては整った。 タイ政府筋と静岡の行政当局者が来賓席に勢ぞろい。 あとは、私もお気楽な一般来場者として遊ぶだけである。 と、思いきや、モンコン領事に 「私、カメラ持ってきてないの。それ、後でCDに焼いて送って」 と、耳打ちされる。まつりの一部始終を記録しとけ、ってことだ。 結果的に、ここにアップする写真を撮りまくることになった。 |
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開会の挨拶は理事長の山名屋当主、佐藤さん。 イヨッ! 日本一! と、叫んでも、誰も「百姓」と突っ込んでくれそうもなかったので 大人しく写真を撮る。 |
主賓の挨拶はスポット総領事。 和歌山は「ワヤカマー」と意図的に言い間違えてウケを取ったが 静岡は「シズオカ」と普通に言っていた。 …東京の大使館側への微妙な配慮か? |
舞踊団は中野区から来られた。 じつは全員が日本人。 バンコクの邦人用電話帳には、 タイダンスの教室がたくさん出ていた。 なるほど、需要は大きいのだ、と初めて納得。 |
サラのママことキッティマさんは、 南関東のタイ人社会のちょっとした顔役である。 貫禄たっぷりに総領事たちと名刺交換。 |
腹が減ってはいくさはできない。 実際、戦士であるムエタイ選手は試合前の飲食を控えていたが、 文官と踊り子たちには、料亭「うおかね」で、早めの昼食が供される。 コスプレ的と言うか、かなりシュールな宴席だった。 |
エキシビジョン・マッチ開催。 つまりは、演武会。禁じ手の披露は あべの古書店の鈴木夫人の熱烈な所望で実現。 |
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…しかし、一番燃え上がるのは、やっぱりこの人。 |
おじいちゃん、おばあちゃん、坊ちゃんにお嬢ちゃん。 よそのムエタイ興行じゃ、ちと考えられないギャラリーたち。 ムエタイ・ファンの裾野が富士のごとく広がるか? |
演武会だというのに、さすがは「はまっこ」。 どこかのプロレス団体みたいに手を抜かず、 マジでやってくれました。 観客も四五百人に膨れ上がり、えらい盛り上がり。 …そう。これが観たくて、 私は足掛け八ヶ月間の手伝いに応じたのだ。 |
「私にとってムエタイは萌えタイなんですよぉ。きゃい〜ん」 …とは、鈴木夫人の言。 旦那は静かにレア物長政映画を上映中。 午後の第二部をひかえ、選手たちはしばしの休息へ。 ステージの主役は舞踊に切り替わった。 |
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午後の部 |