〜平成17年12月7日
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県立図書館に寄ってみたら、二階のホールで「郷土や自然が生んだ先人たち」という展示をやっていた。やればできるじゃないか…もとい、やるじゃないですか、和歌山県。 武蔵野に草は品々多けれど 摘菜にすればさても少なし そんな土地に生まれ育った身には、これだけ紹介に足る先人を擁したご当地が羨ましい限りです。 |
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カテゴリーは「文化とスポーツ」だから仕方がないのかもしれないが、政治家がいないのは寂しかった。 いまは陸奥宗光に脚光が集まってもおかしくない時代である。とくに二階さんという政治家には、よくよく下関の教訓を汲み取り、誰の銅像を御坊に建てるべきか吟味し直してもらいたい気がする。 浜口梧陵も初代駅逓頭、つまり初代郵政大臣にして、最初の「郵政民営化論者」。浜口が私心と縁遠い人であったことは、人々を救うために自身の「年収」に火をつけた逸話が物語っていよう。ゆえに前島密も、はじめは怒ったものの、やがて浜口の意見を理解したのではないか。 世の中には色んな考え方もあろうが、きわめて「タイムリーな過去の政治家たち」だけに、ここで紹介されていないのは、やはり惜しい気がする。 |
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一年を通じて、最も日が短い季節である。 昼餉を済ますと、一旦JR和歌山駅に出て、東口からガラガラのバスで東明塾へ向かう。 |
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最寄のバス停は、 紀伊風土記の丘(終点) |
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塾に入ったら鬱陶しい編集作業が待っている。 久しぶりなので、事前に少し、風土記の丘を散歩することにした。 |
私が紀伊風土記の丘を散歩したがるのは、単に東明塾から近い公園、という理由だけではない。 ここに植わっている木々は、大部分が広葉樹である。
必ずしも天然を忠実に再現したものかどうかは判らないが、少なくとも温かな黒潮の恵みを受けている紀伊半島にあって、針葉樹の森に遭遇するシュールさも感じ取れない精神錯乱に陥ったまま、人様にお見せする印刷物を編集するのは罪悪であろう。 |
いきなり話が飛躍するけれど、国後島と択捉島をロシア人が仕切るようになって「良かった」ことをひとつだけ挙げるとすれば、島の森林のほとんどが、緯度、標高から考えて、辻褄の合わない針葉樹林に改造されることなく、本来あるべき姿の広葉樹林で残されたことではないかと思う。 鉱山や軍事、科学の関連施設はその限りでないが、ロシア人というのは基本的に、トンネルを掘らない国民である。トンネルを掘るくらいなら、道路も鉄路も、大きく迂回させることを厭わない民族である。 植生に対しても、わざわざ「トンネルを掘ったり」しないのが、彼らの流儀だろう。 宮部金吉博士の学説を持ち出すまでもない。北方領土でさえ、広葉樹林が自然の植生なのに、いまの日本列島は人工的な針葉樹林に覆いつくされ、挙句の果てに、春先になるとマスク屋と目薬屋が大儲けしている。 |
…ようするに、私の「天邪鬼」な思索は、紀伊風土記の丘の、嘘を極力排除した景観の中に、源流の一滴を発しているのである。 |
しなやかな竹の精神 呉竹会和歌山の次回講演会は五月の連休明け 予定されている講師は、…まだオフレコ。 冬の竹林を見て、そんな業務事項を思い出した。 |
風土記の丘を降りて 塾 |
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南無臍帯観世音大菩薩 開帳無用 道場で、しばし黙想。 |
---数時間の鬱陶しい作業は省略させて頂きます--- |
編集作業が一段落して、ふたたび城下へ。 |
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なんやかんや言っても、美しい城だと思うよ。和歌山城。 |
気がつくと十二月八日になっていた。 大東亜戦争が始まった日である。 |
未明。岩出に近い紀ノ川沿いの「川辺の湯」へ行く。 ロイヤル入浴券でのんびり旅の疲れを取ろうとしたら、丑三つ時で営業終了。宿屋代わりにしようという目論見は甘かった。やむをえず、塾に戻って仮眠する。 |
眠りから覚めやらぬKIX 朝一番のJALは安いらしい。 |
離陸すると、「十二月八日の旭日」が和泉山脈にのぼった。 敬礼 そして、写真じゃボヤけてしまったが、紀ノ川がくっきり見えていた。 敬礼 |
駿河湾に富士山が浮かんでいた。 私のもうひとつのフィールド、静岡の町は、 三保の松原がお誂え向きな矢印になって示していた。 富士山と、年内に来ることはないと思ったので、眼下の友軍に、敬礼 しきりに敬礼しまくる私に、 そわそわと肘掛を譲った隣席のおじさんは常識のある人だと思う |
幼少のみぎり、 さんざん環境ホルモンを浴びせてくれた京浜工業地帯が近づいてくる。 こいつに比べたら、和歌浦の不自然な砂浜なんざ、罪はねえも同然だ。 いずれも、次の世代に引き渡したくない光景に違いはないが… |
同日午後。地元でライオンさんやら、お歴々の秘密会議?に顔を出す。 隅っこの椅子に腰掛けると、墨東のDNAを受け継ぐご重役から質問が飛んだ。 「紀州はどうだったかえ?」 私は即答した。 「国財不足。金がなくて、紀州さんもとんといけません」 …子母澤寛の『勝海舟』に、こんなやりとりがあったっけかな? |
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