紀州東光グループ表敬のこと
第二部

 和歌山の町は、雨だった。
 公務員Gは、まず和歌山県庁に立ち寄った。役人の習性というわけではなく、たまたま同僚の人が、こちらへ出張しているらしく、コンタクトをはかろうとしたようだ。
 私も庁内の知己を訪ねようかと思ったが、時間はあまりない。今回はとぼけることにして、東光グループの上映実行委員が、毎年8月15日に映画『樺太1945年夏 氷雪の門』の無料上映会を開催している県民文化会館の写真を撮ったリして時間を潰す。

 彫刻家の保田龍門は和歌山県の出身である。庁舎の階段踊り場に、このような一流の芸術作品が惜しげもなく飾られているのは、率直にすごいと思う。

 華月殿は名の通った結婚式場。忘年会では当然旨いものが出る。
 しかし、東京都下から空きっ腹をふたつ抱えて走って来た我々は、軽く腹ごなしをしてから会場に赴くことにした。第一、招かれた宴席で、出される料理をガツガツ食らうなど、やせ我慢を至上の美徳とする江戸もんにとっちゃ、面汚し以外の何物でもない。

 ラーメンを食べようと思ったが、化学調味料を一切使わず頑張っていた菊世がやめてしまったので、定番ながら、井出商店に寄る。

 旨い不味い、という批評はあまりしたくない。好みは人それぞれだからね。ただ、心底、自分が不味いと思う店には足を運ばない。それだけのことだ。

 和歌山ラーメンの元祖とされる井出商店のラーメンは、とりあえず小ぶりで、その後に飲食を控える身には、ほどよい分量だと思う。

 しかし、郷に入れば…とか言って、なれ寿司を三つも四つも頬張っていたら(そんな和歌山人はいない?)、せっかくの控えめな量も意味がないよな。


 県庁で時間を節約したせいで、まだ開場時刻まで余裕があった。兄弟分が手配しておいてくれたJR和歌山駅近くのシティインに旅装を解き、仮眠をとる。考えてみれば、一昨日からほとんど眠っていなかった。運転する男を尻目に、途上、助手席で数分区切りのうたた寝を試みたが、プロがあつらえた寝床は流石に格別で、つい熟睡しかけたところ、「おい。時間だぞ」と、時間に正確な公務員Gにたたき起こされた。

 会場入りすると、毎度の事ながら東光グループの会合らしく、燻し銀のようなムードが横溢している。受付に綺麗どころをはべらせることもなく、あくまでもここは漢(と書いて、”おとこ”と読む)の世界なのだ。家を出る時、間違って夏物の背広を持ってきてしまった私も、さして気後れすることなく、皆さんに能天気なご挨拶をすることができた。なお、会長以下、兄弟分(右)など、幹事役は全員道着をまとっていた。

 ただでさえややこしいのに、式場の下見に華月殿を訪れた普通のカップルの人たち、何処かのスジモンの集会と間違えてビビらなかっただろうか。余所モンが口幅ったく申しあげりゃ、こいつぁ極道の会合じゃございあせんよ。「平成のおさむれえ」の寄り合いでございあしてね…。


 出席者は百二三十人くらいだろうか。三田会長が冒頭の挨拶をして、なぜか私が二番目の、つまり乾杯前に、スピーチをさせられる。経緯はいささか不純だが、「来賓」という扱いになっているので、早く飲みたい皆さんの興をそぐ悪役を仰せつかったのである。会員の中には、単に商売上有利な人脈をつくれる地元のサークル、といった認識の人もいるように思われる。話の内容は理解されずとも、本来ひとつの志のもとに集まった団体であることを、それとなく印象付けておくのは大事なこと…と、独り合点し、「活動報告一部抜粋」を以って、ケムリとさせて頂いた次第。
 身の程知らずなハッタリは続く。与えられた席は上座の真ん中。グループの長老、出水相談役とともに会長の左右を固める役回りに配された。
 もとより会長は、事新しく私に対し「あれせい、これせい」と指示する人ではない。ぐるりを見回し、出水相談役は市の政策審議監(お役人につき、お名前は伏せさせて頂く)やレンタルハウス社長の竹内さんらに対応し、私のほうは県議の浦口さん、市議の井上さん、松井さんと話をしろ、という暗黙の沙汰と、勝手に解釈する。
 票田に加えられない余所者の御託を、誠実に聴いてくださった諸先生方には心から感謝申し上げたい。



平成17年12月7日   

 早暁、公務員Gは大阪へ向かった。そんなに早く動いてどうするのだろう?

 九時近くまで惰眠を貪ってから外を見ると、昨日とは打って変わって気持ちの良い青空がひろがっていた。


 昨日の会場で挨拶できなかった関係者のひとり、近藤さんは、シティインの近く、和歌山で最も高級とされる喫茶店『神戸珈琲館』のオーナー&マスターである。

 朝食ついでにふらりと立ち寄る。



 いかんせん、貧乏神が夏物の背広を着てほっつき歩いているような私である。
 挨拶以外、大した用事もないのに、真面目に働いている関係筋を、その事務所へ訪ねるのは、なんだか無心に行くみたいで心苦しい。

 無理矢理にアポを取りまくるような真似はせず、昼時、和歌浦へ足を伸ばしてみることにした。


旅田卓宗パパ・ファンクラブ東京総支部長を自認する以上、
和歌浦と言えば、ここへのお参りを欠かすわけにいかない。
ブラボーぉ! …石泉閣
そう言えば、松井さんは議場の席がパパの隣と言っていた。
今度サインをもらってくれるよう、お願いしてみよう


 冗談はともかく、石泉閣の近くで見つけた、幼子を抱くお地蔵さん。

 まさしく、聖と俗。石泉閣との取り合わせが、…なぜかタイを思い出させた。

 品行方正な私には、水子霊の心当たりなどないけれど、こうした慈悲のオブジェクトを目の当たりにすると、つい手を合わせたくなってしまう。 

合掌   

 紀州東照宮。腐っても幕臣。主筋ゆえ、お参りしないわけにはいかなかった。

 毎年五月におこなわれる和歌祭りは、こちらの行事らしい。

 なんだか巡礼と言うか、霊場めぐりの散策になってきた。
 歴史ある紀州だから仕方がない、と言ってしまえばそれまでだが。
 最早、私は居直っていた。

 竜宮城みたいなお社があった。
 天満神社。
 珍しい。
 普通、天満と来れば宮と続くと思い込んでいたので、もちろんお参りすることにした。

 不思議な石段を登って本殿にいたり、省みる。
 外国船を撃ち払う砲台を築くにはお誂え向きな…もとい、人工の砂浜だろうか。環境ホルモンをたっぷり含んでいそうな白い浜辺が気になるが、お伽噺が即興で二三本作れそうな、なかなかの景観である。

 和歌山には、局地的なプライドがめっちゃ高い関西の文化圏でありながら、妙に「だから和歌山はダメなんや」を繰り返す自虐的な人が多い。
 こうした町と天然の調和は、21世紀を牽引する価値観として十分精華させることができるだろうに、どうして、自分たちの得がたい原資に目を向けないのか、不思議でならない。

しかし、あらためて階段を下りてみて、自虐の病根が少し理解できた。
 いくらなんでも、これはないでしょ?
 手水舎は無残なガラクタ置き場と化し、人様の献燈に、その氏名を隠して「公衆便所」と来たもんだ。
 神社がこんなことをやってりゃ、まともな地霊が逃げ出してしまうのも無理はねえ。
 あずまえびすの貧乏神に、こんな意見をされちゃおしめえだよ。
 願わくは、天満神社の宮司さま、早急に善処して頂きたい。



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