(国際情報ハードボイルドぽんち小説) [空・GON]と呼ばれる男


奴がやって来る時、蝉の鳴き声も止まる・・・!


 by 羅知明太郎


 そぞろ窓辺の火炎樹がざわめいた。腕時計の針は19時25分をさしていた。
 バンコクから飛んできたDC−10は、翼の赤い灯火を明滅させながら甲高い金属音をたなびかせ、定刻より5分ほど早く、漆黒の帳につつまれるコンケーン空港の滑走路へ舞い降りた。この種の国の、うらびれた田舎の飛行場では、つねに照明機具のいくつかが故障しているのがお約束事だ。操縦席の視界はずいぶん頼りないに違いない。しかし、パイロットはなかなかいい腕前をしていた。前身はエアフォースの軍人と見受けられる。
 恙無き着陸を見届けると、カオパット・ガイとナム・マナーオの会計を済ませ、私は数日前に首都の古本屋で買い求めた文庫本(註1)をディパックの底に深くしまいこみ、施設でただ一箇所のエアコンが効いている公的空間、コーヒーショップを後にした。外気に触れると腫れぼったい湿度が鼻孔を突く。噴出す汗もとどまるところを知らない。薄暗い蛍光灯の下で柵に群がる出迎えの人だかりは、どの姿も貧しく、大地に根ざした体臭がとぐろをまいているかのようだ。パッセンジャーの中には高僧が混ざっているらしく、サフラン色の法衣をまとう僧侶の一群が狭い到着ゲートの袖を占拠していた。いやがうえにも滑脱な視野を遮られ、仕方なしに私は施設から一歩はみだした軒下に陣取って[コードネーム・空(ワールドカップを記念して韓国語読み)]と呼ばれ、今夕、本国から到着し、“58時間”タイ国内に逗留する手はずになっている特別全権連絡員の姿を降機客の中に探し求めた。
 コンケーンは、タイ北東地方の中心都市と言われているけれど、日にバンコクとの定期便が四往復するだけの空港は、べらぼうに小さく、ターミナルはお話にならないほどみすぼらしい。だが、やっぱり戦乱の大地、インドシナを舞台とするハードボイルドのプロローグは、こんな殺風景な飛行場でなければなるまい。私が[空]との会合地点にこの空港を選んだのは演出上の必然であり、安易な成り行きの所産ではなかった。
 したが、段取りのわるい田舎の空港である。ローディングの荷物を携行している旅客は、一旦外に出て、仕切り壁を迂回しながらふたたびターンテーブルの回る施設内のフロアへ吸い込まれていく。カーバ神殿をめぐる巡礼者のごとく、人の流れには一定の秩序があった。私は注意深く人々の顔をあらためたが、ついに相好をほころばせることはなかった。待ち人は現れなかったのである。
 ひょっとすると、[空]はすでにイスラエルの某機関によって消されてしまったことも考えられる。あるいは“北”の工作員によって拉致されてしまったか。日ごろの悪ふざけは時として現実の災いをもたらすことがある。思い返せば、[空]はしばしばやり過ぎた。不吉な予感は冷たい戦慄となって背筋を這い降りた。こうなると長居は無用だ。私はただちに撤収を決断して、市内のいくつかのホテルが共同で運行している無料の送迎マイクロバスにもぐりこんだ。最終便でやって来る旅客に、ホテルへ宿泊する者は少ない。マイクロバスに乗り合わせたのは国籍不明のアジア系のおっさんがひとりと、タイ人の年増女がひとり(タイの女はどういうわけか国内線の飛行機を降りると必ず携帯電話でしゃべりだすのですぐに国籍が判るのだ)きり。少なくとも私がこの車内で厄介な敵と遭遇する危険はなさそうだ。粘りつく暑気から隔絶された過剰冷房が心地よかった。

    註1 コンケーン空港のコーヒーショップで筆者が読んでいた文庫本の表紙
       
感想:くだらなかった。

 閑古鳥が鳴くホテルのコーヒーショップで寛いでいると、だしぬけに、どこか見覚えがあるファランの男(註2)が窓のガラスをドンドン叩いた。
 「空港からここまで150バーツとられたぞ。あれはきっと白タクだ。そう、白タクだ」
 窓の男はファランではなかった。誰あろう、彼こそが特別全権連絡員・[空]だった。密航中国人、いわゆるルークムウが定番で使用するような車輪付小型トランクをがらがら引っ張りながら、白タクを大胆不敵に乗りこなすという豪傑は、声量豊かな日本語を話した。
 「しかし、エアコンはよく効いていたぞ」
 あっけにとられて絶句している私が知りたいのは、さしあたって、そんな世間話の枝葉末節ではない。
 「ビール」
 体裁はホテルのコーヒーショップだが、そこは家族経営の食堂にすぎなかった。ワールドカップに熱中する一家の母親と思しき小母さんに英語風の発音ですると、[空]はひとりでしゃべり続けた、
 「ふう、なんて暑さだい。これならいっそシベリアの寒風に吹き晒されていたほうがマシだ」 
 「おたく、畢竟あの飛行機に乗って来たのかえ?」
 毒気を抜かれた私がかろうじて質問を切り出すと、いったん横道に入ったら際限なく脱線していく気質の男は、気を取り直し、牡牛の遠吠えのような声色であっけらかんと言った、
 「ああ。ターンテーブルで荷物を拾ってからおまえを探したんだが、いないだろう?」
 どうやら[空]はほかの乗客のように一旦外へ出るという慣習にとらわれず、一体どういう神経をしているんだか、到着ゲートから直接仕切り柵をくぐって隣のフロアへ入り込んだようだ。そういう勝手な真似をされては軒先に佇む私に見つけられるわけがない。さなきだに、よくも拳銃を腰にぶら下げた警備員から不審者と見咎められなかったものである。これがフィリッピンなら、[空]は射殺されていたかも知れないのだ。ただ、空港の待合室にはSONYが寄贈したテレビが置かれていた。警備員はおそらくワールドカップの観戦に夢中で気付かなかったのだろう。
 「そうするうちに空港の電気がぜんぶ消されてさぁ、締め出されちゃったんだよう」
 いくら出迎えに来ているはずの人間の姿が見えないからと言って、車輪付小型トランクをがらがら引き摺って、消灯後の飛行場をうろちょろしてるか、ふつう?やはり、この男には凡夫の常識など通じないのだ。
 「それで『150バーツ』なんて言うから、最初は『畜生、ぼったくりだな』と思ったけどさぁ、いや、実際に来てみると空港からけっこう離れているしさ、まあ、こんなもんだろうな、と納得した」
 本人のしゃべり方を忠実に再現しようというリアリティ追求のため、故意に主語を省いているが、つまり、暗くなった空港で途方にくれていた彼氏は、幸運にも良心的な白タクのドライバーに声をかけられた、というのが真相らしい。150バーツは旅行者にとって妥当な金額である。だが、コンケーン空港からあやしい白タクに揺られてホテルへ至る夜の行程は、彼にとって、ささやかな冒険となったようだ。[空]はあくまでもスリリングな体験をひとくさりしゃべろうとする。やはり彼のペースで対話していると、話題は横道へ真一文字に突き進んでいきそうな雲行きだった。
 「・・・ま、おたくの武勇伝は後日あらためて伺うとして」
 私はこれまでの経過報告を切り出した、
 「なあ、友達。“コンケーン・カレッジ”という名称の教育機関は残念ながら当地に存在しない、という見解は、すでにバンコクからyahoo.comで伝えた通りだが」
 ひとつの農業プロジェクトがいま、進展している。その動向を左右するキーパーソンと目されているのは、タイ国の現行内閣で内務大臣を務めているマグサイサイ賞受賞者の元医師、クラセー博士だった。しかしその国の首都で中央政界の要人に接触する困難は言わずもがなである。日本でも大臣と会いたければ、その国許で手はずを整えるのが常石だ。あまつさえ、次代の地方振興の人材育成に熱心なクラセー博士は、郷里のコンケーン県に農業学校をはじめ、いくつかの教育機関を主宰しているとのことで、つまり私は件のVIPとの連絡を図るべく、この乾いた台地へ先行していたのである。
 「ああ。メールなら読んだぞ。“カレッジ・オブ・エイシアン・スコラ”だったな。そいつが正式名称だ」
 興ざめしたような相槌は板についている。あるいは自分の冒険談の腰を折られて本当にむくれているのか。[空]は斜に構えながらも力強く断定した。なお、その学校の正式名称は“ウィタヤライ・バンディット・エイシア”というぜんぜん違った音になるのだが。
 「間違いない。明日、早速あたってみようじゃないか」
  くわっと眼を見開き、必要以上に意気込んでしゃべる男を私は制した。
 「それも違っていた」
 その日の昼、私はすでにウィタヤライ・バンディット・エイシアを訪ね、空振りにも似た寂寞感を味わってきたばかりであった。
 「そ、そおかぁ!」
 情報が錯綜する国なので、タイでは常にあらかじめ幾つかの推測を用意し、あまたの徒労を覚悟しながら行動しなければならない。要諦である。私はクラセー博士が県庁所在地の近郊に建てたばかりの短期経済大学の畑違いぶりについて簡単に述べた。
 「どうやら農業を教えている学校というのは、博士の生地、ここから70キロ南のムアン・ポンという町に存在するらしい」
 「ふむ。やはり、そうか」
 さきほどの確信はどこへ行ったのやら、初耳の事実に対しても[空]は“やはり”と食い下がり、鷹揚に頷いた。
 「それで、ムアン・ポンの学校の名前は?」
 「テクノ・ポン」
 「そっ・・・そおかあっ!やあるなあ!」
 新出の固有名詞には、何か彼のツボにはまる響きがあったようで、[空]は突然“やあるなあ!”を連呼しながら、げらげら爆笑をはじめた。配慮に欠ける大きな笑い声に、食堂の家族はワールドカップ観戦を中断し、不安そうな面持ちでへんなお客に注目する。
 「カレッジ・オブ・エイシアン・スコラで聞いたところによると、テクノ・ポンには“ウム先生”という日本語の先生がいるらしい。年齢と性別は一切不明。だが、エイシアン・スコラの事務員は、そのウム先生が何かを知っているような口ぶりだった。そんなわけで、おれは明日、ムアン・ポンへ行ってみようと思う」
 食堂を経営する家族の好奇の視線も省みようとせず、横隔膜を抑えていつまでも笑い転げる男に、私はさっさと自分の行動予定を切出した、
 「大の男が二人揃って出かける必要はないだろう。同志[空]。貴君には明日、この町のカレッジ・オブ・エイシアン・スコラへ新手として出向いてもらえるとありがたい。博士が経営している以上、そちらの学校との繋がりも固めておくのが妥当だろうからな」
 「いや。それには及ぶまい」
 単独行動は心細い、というわけでもなかろうが、いつになく真摯な面持ちで[空]は、“一緒にムアン・ポンまで足を伸ばしてやろう”と言った。もっとも、それではまったく手分け作業の意味をなさなくなるけれど、こんな田舎でローカル言語が不得手な[空]に、ひとりで遠出させるわけにもいかない。保護責任が問われてしまう。同じ人間が二日続けて同じ学校を訪ねても仕方ないし、役割を交代するにも無理があった。本人がそう言う以上、ここは特別全権連絡員の好きにさせておくことにした。

  註2 ・・・“ファラン”=タイ語で「毛唐」の意。


    
       資料画像 森林の乱伐を原因とする塩害によって白っぽくみえる北東タイの地表 (筆者撮影)

 あくる朝、私の部屋に電話がかかってきた、
 『おい、もう7時だぞ。おれは5時に目を覚ましたぞ』
 その大きな声に、まどろむ私は町会の運動会の呼び出しを連想した。
 「ああ、わかった。わかったから、もうちっと寝かせてくれ」
 『そおか』
 おどろくべき体力の持ち主であった。受話器を置きながらふたたび夢の世界に沈む私は公務員の規則正しい生活態度に舌を巻くとともに[空]の人間離れしたスタミナに驚嘆せずにいられなかった。前夜、あれから蒸し暑いコンケーン市内へ繰り出し、クラセー博士がしばしば海外の医療関係者を招聘してレセプションを開いているというホテルを下見した。そこのコーヒーショップでも[空]は陽気に、配慮に欠ける大きな声で笑いまくり、こちらの話す言語など解かる由もない姐ちゃんフロア係たちの忍び笑いの対象になっていた。ところで、熱帯地方における行動は、想像以上の体力を消費するものだ。連日の調査活動で、私はだいぶ疲れていたのでなるべく早く床に就きたかった。ところがエア・インディアの機内食(カレー)とドンムアン空港国内線ターミナルでは乗り継ぎの合間にバーガーキングの高価なメニュを平らげたはずの[空]だったが、なおも空腹を訴えた。たいそうな食欲である。仕方がないのでホテルに隣接するシナ人経営の一膳飯屋へ出向き、夜食をとった。[空]は終始ご機嫌で、「僕は鶏の足が苦手なんだ」と告白しながらも、お気に入りのスープの底にどっさり沈んでいたダシ取り兼用の鶏の足をすべて旨そうに頬張っていた___。
 またしても電話が鳴った。
 『おい、もう8時だぞ。おれは5時に目を覚ましたぞ』
 しんどかったけれど、しょうがないので私はひとまずベッドから身を起こすことにした。
 コンケーンのバスターミナルからムアン・ポン行きのノンエアコンバスは30分おきに発車していた。所要時間は約2時間。ひとり29バーツの運賃は、車中で[空]が颯爽とまとめて支払ってくれた。さて、ムアン・ポンのバスターミナルからトゥクトゥクを乗り継いで目指すテクノ・ポンに辿り着いたが、私はふたたび首を傾げざるを得なかった。白いブラウスに紺色のスカートをひらひらさせる高校生が数人目の前を素通りしていく。黒いスカートの大学生もおり、おまけのような男子学生(タイの学生は勤勉な女のほうが主流である)も同じ色彩の制服を着てうろうろしていた。どう贔屓目に見ても、テクノ・ポンは田舎町でまま見かける普通科の高校・短大の併設校であり、肝心な農学校らしい風情はみじんもなかった。
 「どちらさんだべ?」
 校門脇にいた用務員のをぢさんが友好的に誰何する。私は姿勢を低くして、丁重なバンコク語に土地の方言をまじえて言った、
 「すいません。ニッポンから来た者でありますが、ウム先生はいますか?いないだべか?」
 昔、都立高校の事務員をしていたくせに[空]は胡乱なサングラスをかけて私の背後で佇んでいた。用務員のをぢさんはそっちのほうをしげしげと品定めしている。無理もない。学校を訪問するときにサングラスもないであろう。やはり、この男には社会人の常識など通じないのだ。
 「そちらのファランも日本国籍なのです」
 私が言うと、用務員の赤茶けた顔から一抹の警戒心が解けた。対応に出てきた事務長と思しきおばさん職員に案内されて内陣にまわると、ややあってネクタイをつけた信用金庫のおっさんみたいな風貌の教員があらわれる。この人がウム先生なのだろうか?半信半疑に陥りつつもひとまず簡単な自己紹介と来訪の意図を告げると、おっさんはにわかに引き攣った笑みを浮かべて、毒にも薬にもならない外交辞令を並べ立て、すぐに引き下がってしまった。どうもウム先生とは別人らしい。おっさんは一体何をしに出てきたのだろう?
 [空]はずっと黙っていた。アジア世界では現地語をしゃべる外国人は一段低く見られる傾向がある。我が日本にだって、自身は学校で習ったはずの英語すら満足に操れないくせに、日本語を話そうと努力している外国人の奇妙なイントネーションを真似しておどけている低脳児が残念ながら大勢いるではないか。基本的にはまったく同じ事情である。かてて加えて発展途上国というのは徹底した分業の社会なので、兼業者という立場も理解されにくい。ゼネラリストが同時に百姓や作業員にもなりうる、という発想は、こういった国々では辻褄の合わない「まやかし」と受け取られかねないのだ。後々の現場実務は私が担当するのだから、[空]にはこの際、プロジェクトマネージャーになりきってもらい、相手を英語でさんざんまくし立ててくれたほうが、よほど有利に事が運べるのだが、昨夜は降って湧いた白タク武勇伝に気圧されて、十分な打ち合わせができていなかった。
 もうちょっと積極的に喋ってくれよぉ、ごっちゃ・・・もとい、同志[空]!
 ややあって、応接室の外で、先刻のおばさん職員が私と[空]を指しながら下級職員に、「...ドクタークラセー、チャマー。レ、パイコンケーンチャー」などと話しかけていた。
 「・・・なんだって?」
 私は思わず耳を欹てた、
 「まさかね、聞き違いだろう」
 胸騒ぎを覚えたのか、[空]は私の独り言に敏感な反応を示し、すっかり緊張した面持ちで訊いてきた、
 「なんだよ。どうしたんだよ」
 “やつらはおれたちを殺す相談をしている”、とわざと誤訳してみるのも面白い趣向に思えたが、[空]の性格から判断すると、本気にして、先手を打ってここにいる人々を全員斬り殺してしまいかねない。ようするに折角のハードボイルドが、たちまち三国志に早変わりしてしまう。
 「当のドクターが今、ここに来ているようなニュアンスに聞こえただけだよ。ふっ、空耳だろうがな」
 まじめに答えると、不意に応接室へ可愛らしい女の子が逞しい女子大生に守られるようにして姿を見せた。そして、折り目正しい日本語で、
 「ウムです。どのようなご用件でしょうか」
 と名乗った。小柄だが、よく見ると女の子はれっきとした大人の女で、青みがかったグレーのスーツを着ている。
 ここへ来るまで、“ウム先生”は年齢も性別も不詳だった。私はとぼけていたわけではない。いざ会ってみると、すくなくとも農業プロジェクトの相談を持ちかけるべき相手とは見受けられなかったが、毒気を抜かれて私は通り一遍の挨拶を済ませた。ウム先生も、なにゆえこんなおかしな連中が自分を訪ねて来たのかさっぱり理解できないらしく、終始おどおどした態度をとり続けている。重苦しい空気に、両者、成す術もなかった。
 その時である。ガラス張り応接室の外を一群のおやじ連中がぞろぞろ通り過ぎた。先頭に立つ初老男の横顔を見て、私は思わずトンボを捕まえるように、指先をぐるぐる回していた。にわかに空気の流れが変わった。
 「あっ・・・あれ」
 さっきのは聞き違いではなかった。クラセー博士は確かにここへ来ていたのだ。
 「なんだ?なんだ!どうした?どうした!」
 自分じゃ何も発言もしないくせに、イサーン美人(?) との対座に想像以上の息苦しさをおぼえていたのか、一テンポ遅れて[空]が身を乗り出すと、これに呼応するかのように女事務長があわてふためいて飛び込んできた。取持ち人も嬉しそうに手招きしているから間違いない。あれはまぎれもなくクラセー内務大臣なのだ。
 「天佑だ。願ってもないチャンスだ。直接本人に挨拶しちまおう」
 「うおうっ!」
 ふたつの肥満体が玄関先に転がり出る。タイは聖と邪悪が背中合わせに共生しているような国柄だ。この極端な国において、気さくながらも、現下一等の「タイ・ヒューマニズムの象徴」とされる政治家は、どこの馬の骨とも知れぬ異邦人を優渥に歓迎してくれた。

      テクノ・ポンの玄関先にて、クラセー博士(右)と[空](左)

 いまや押しも押されぬタイ政界通の自意識に覚醒した[空]は、俄然元気よくしゃべりはじめた。学食での昼食に誘ってくれたウム先生や彼女の教え子たちを、多岐にわたる話題ですっかり釘付けにしている。
 「あははは。東京都教育庁の人事異動で・・・(中略)・・・なんだよう!あれっ、このバナナ、たべられるのかな?あはは。先生はじつに小食ですね。おおっ、これは美味い!なんだろう、原材料は・・・え?腕時計もベルトも学校オリジナルなんだ。先生も学生も同じ物を使っているわけか。これはぜひ東京都人事局にも・・・うわっはっはっは」
 翻弄している、と言ったほうが正鵠を得ているかも知れない。おそらくウム先生は、自分の教え子たちに生きた日本語に接する機会を与えようと配慮なさったのであろうが、これでは教育上、却って逆効果になるのではないか、と、私は気が気でならなかった。先ほどまでの寡黙な公務員ぶりなど何処吹く風とばかり、貪婪な牡ライオンのように汁かけ飯をペロリと平らげると、[空]は無邪気な日本語学科の教員と学生にレアな台詞とネタを振りまくる。北東タイの向学心を備えた婦女子たちは、難解きわまりない日本語の猛攻を浴びつつも[空]のユーモアに愛想よく微笑で応じ、タイミングを見計らって私に眉をしかめ、「どんな意味?」と尋ねてくる。そんなもの訳せるわけないだろう!だって、おれにもさっぱりわからないんだもん。
 「総統閣下。お楽しみのところ大変申し訳ありませんが」
 私は恐縮しきった口調で、うら若い女人たちを前にはべらせ、ひとり盛り上がる子持ち男にアウトレットの腕時計をちらつかせた、
 「そろそろコンケーン空港へ参りませんと、14時35分のバンコク行きフライトに間に合いませんぞ」
 「まだ平気じゃないのかぁ」
 ムアン・ポンから県庁所在地まで、今朝やって来た2時間の道程を戻らなければならない。おまけに[空]の車輪付小型トランクなど嵩張る荷物は引き払ったホテルのレセプションに預けたままだ。コンケーンのバスターミナルに着いても、そこからまっすぐ空港へ直行できるわけではない。
 「わし、先に空港へ行って待っておりますがの、おやっさんは後からひとりで来てつかあさい」
 「待て。おれも行く」
 ささやかな国際交流に後ろ髪を引かれる[空]は、脈絡のない広島弁に促され、器に盛られたデザートを丸呑みすると、重い腰を上げた。

 テクノ・ポンの学食にて。ウム先生(右)とボディーガード風の短大生
       
   ・・・ちなみに筆者は右端をすれ違う高校生のカバンに萌え

 SEA OF LOVE と聞いて、それが堅気のマンションの名称であると即座に想像できる日本人はそう多くないだろう。バンコクには、こうした風変わりな名前の建物がけっこう存在しているのだ。しかし侮ってはいけない。特に細かなスケジュールもなく、この都会へ立ち寄った時は、このような賃貸マンションに日極め契約で飛び込んでしまったほうが、つまらない三流ホテルに捕まるより、はるかに廉価で気の利いたバンコク・ライフを送ることができるのである。所はホワイクワン地区。バロン・ホテルというおそろしく汚いホテルで知られるソーイ・サタントゥートチン(中国大使館小路)へ数百メートル分け入り、右折してさらに百メートル奥まった一画にあるSEA OF LOVEは、一泊390バーツ。ちょっと以前までは同じ地区の一等地に建つ古巣のWATANA MANSIONを常宿にしていた私だが、どうも最近、そちらのマンションには定番の囲われ女や風俗嬢、欧米系のダメ外人に加え、麻薬の売人や売れないタレントがあまた住みつくようになっており、おまけに黒人の姿もちらほらするようになっていた。つまりそこはだいぶ柄がわるくなってきたものだから、私もやや不便な交通事情には目を瞑り、かつての邦人仲間の幾人かが居住しているSEA OF LOVEに浮気を決め込んでいた。まあ、映画のタイトルをそっくり移植した名前の怪しさが如実に暗示しているとおり、このマンションの経営母体は市内にいくつもの特殊浴場を所有しているDEBID GROUPというやくざな企業体であるが、居住や逗留するぶんには何も支障がない。
 かくして、私はへんてこな名称に過剰な反応を示し、妙に受けて笑い転げる[空]とともに、SEA OF LOVEにそれぞれ部屋を確保した。

 バンコクの夜である。[空]が最後にこの街を訪れた日から、すでに五年が経っていた。
 「うおおっ!なんだ、なんだこれは。アンダーパスが完成しているぞぉ!」
 タクシーの後部シートで、変貌著しい街の景観に、さかりのついた牡ライオンの咆哮がいちいち炸裂した。ありていに言って、うるさい。関係者たちと顔繋ぎの会食が済み、日もとっぷり暮れたラチャダピセク通りの歩道をぶらぶら歩いていると[空]はいきなり独裁国家の指導者にありがちなカリスマ的ポーズを決めて、興味深そうに緑色のネオンを指差した、
 「あれはなんだ?いかがわしい所か?」
 「あれはテレビ局です」
 「そおか」
 数歩進んで、ふたたび[空]は立ち止まる、
 「あれはなんだ?いかがわしい所か?」
 指先を辿っていくと、赤いネオンが回転していた。
 「あれは海鮮料理屋です」
 「そおか」
 50メートル歩いてまた訊いてきた、
 「あれはなんだ?いかがわしい所か?」
 今度は黄金のネオンだった。
 「あれはコンピューター屋です」
 「そおか」
 スコアが伸び悩む評点射撃の選手のように、とぼけた調子で[空]はつぶやいた、
 「しかし暑いなぁ」
 私は本国の常識からすると聊か奇異に聞こえるであろう提案を切り出した、
 「トルコ風呂にアイスコーヒーでも飲みにいくかね?」
 この街の常識では、さしてピント外れな台詞でもないが、日本に帰って早二年半。多少の文化的ギャップを弁える私は説明した、
 「いま、どこの店でも、姐ちゃんたちがワールドカップ参加国の国旗をあしらったドレスを着てひな壇に並んでいるんだ。あれで妖艶を演出している積もりなんだからあきれるばかりだ。極めつけの店になると、コンシアー(発音を間違えると「死人」という意味になってしまうが、“カウンセラー”の現地訛り。ひな壇の前で相方を見繕うお客の相談に応じる女衒要員)の兄貴やおっさんが全員ジャージで身繕いしている馬鹿なところ(参考… メルリー/ニューペッブリ通り。入浴料:2時間/1400バーツ)もある。際物ポンチだ。たいそう笑えるよ」
 [空]は真面目くさった顔で11秒間考え込み、やおらニヒルに口元を緩めた、
 「まあ、これも社会勉強だな。よし、行ってもいいぞ。しかし、女は買わないぞ。どっちみちカネもないからな。よしんばポン引き野郎に捕まっても安心だ。払え、って言われたって、ないものはないからな」
 不可解なほど入念に釘を刺す[空]は、これみよがしに胸ポケットをがさがさまさぐってみせた。私にはどうでもいいことである。
 「しかたがない。じゃあ、行ってみるか」
 観念して、ひとり元気よく歩き出す[空]を私は呼び止めた、
 「おい。そんなに張り切ってどっちへ行く気だよ?こっちだぞ」
 するとプロイセンの軍服が似合いそうなきびきびした態度で反対方向へ踵を転じて、悪びれもせず[空]は言った、
 「しかし、本当に女は買わないぞ」
 「誰も“女を買おう”なんて言っていないじゃないか」
 私が淡白に素朴な誤謬を指摘すると、しきりに注意深くあたりをきょろきょろ伺っていた[空]は心底仕方なさそうに、
 「あはは」
 特徴的とも言える無機質な笑い声を一秒間にごった夜空に響かせ、
 「そおかぁ」
 と、しきりに納得してみせるのだった。
 わざわざバスに乗って赴いた先は、同じ通りの北側に位置するミラージュ(入浴料:2時間/1900バーツ)という店だった。しかし場末のエンターテイメント・カフェと同質のコーヒーショップは、とりわけてメニュが高額というわけでもない。エアコンの効いたこぎれいな場所で軽食をとるだけなら、むしろ町中のレストランより割安かも知れない。灰皿が置いてあるのも、禁煙ブームの迫害を受け続けているタバコ飲みには、有難い。
 「ちょっと、ひな壇を見てくらあ」
 映画『からっ風野郎』の主役・朝比奈組長を髣髴させる磊落な棒読み調子で宣言し、そそくさとした足取りで然るべきコーナーを目指す[空]が、実際のところ、尻のポケットに数千バーツを忍ばせていようと、それは私の関知したことではなかった。
 「ああ。どうぞ。逝っておいで」
 私はこのような店で登楼した同行者を二時間と待っていられないほど無粋な気性に生まれた覚えはない。なにしろ先刻、コンケーンの空港でチェックインしたあとになってスイス製ナイフを預け忘れたことに気づき、どうしたらいいか、と大騒ぎし、そんなものはケツの穴に突っ込んでおきゃいいんだよ、とアドバイスする私の言葉を受け流した挙句、靴底に隠して堂々と金属探知機を突破した[空]である。テロリストの才能に富んだ男に、その程度の手品はお家芸であるように思われた。

 資料画像 ?????......... 

 果たして、[空]はものの1分足らずで戻ってきた。
 「ヘイユウ。もうフィニッシュかい?」
 「みんな国旗のドレスを着ていたぞ」
 報告はそれだけだった。韓国人プレイボーイのようにぎこちない仕草でソファに身を崩す[空]はまたもや無口になり、タバコをくわえてライターをしきりにカチャカチャいじくりまわしている。社会勉強はいったいどうなったのだろうか?
 アイスコーヒーを飲み干すと私は自分本位に言った。
 「帰ろうか」
 「ああ。引き上げよう!」
 言うが早いか[空]は両目をくわっと見開き、決然とシートから跳ねるように身を起こすとその場で仁王立ちした。気が早い男であった。シートに身を沈めたまま、私はフロア係を呼び、会計するように言いつけた。女の係はふしぎそうに意味不明の直立を続ける男の顔を一瞥して、伝票と現金を摘んで帳場へ去った。おしなべて会計が遅いのは、この手の店の特徴である。つり銭が来るまでの間、立ったままの[空]は他の客の訝し気な視線に晒されながらも沈黙を守っていたが、“まだ座っていたら”と同行者に声をかけることもなく、私は姐ちゃんが去ってから火をつけたタバコをのんびり吸い終わることができた。

 一夜が明けた。[空]はご機嫌斜めだった。彼は五年前、バンコク銀行に秘密口座を開設している。公務員なのだから口座の開設目的をここに事新しく紹介するのも野暮というものであろう。ところが残高照会を依頼して預けたのに、そのATMカードから私がいつの間にやら約30,000バーツを引き出して使い込んでいたのに気づいたものだから、朝っぱらから歩道をとぼとぼ歩く[空]の仏頂面には人々の同情を誘うような風情があった。
 「なあ、ごっちゃ・・・同志[空]。いかしたスカイトレインに乗りにいこうぜ。およそバンコクには似合わない乗り物だよ。笑えるぜ」  
 元気付けてやろうと、人間性を露にする私はつとめて明るく声をかけた。
 「高いんだろ?乗らないよ。それにシロムへ出る用事はなくなったからな」
 がっくり肩を落とす[空]は非難がましい口調で私の提案を拒絶した。
 「あら、そうなの。さようなら」
 シロム通りの某日系企業に用事があった私は、それから[空]と別行動をとり、午後になって会合ポイントに指定したラチャダピセク通りのローカル企業のオフィスに腰を落ち着けた。とは言え、こんな場所に顔を出していると、業務上の意見を求められたり、商品カタログの短い日本語を翻訳させられたりと、何らかの雑用が舞い込んでくる。そうした突発的なボランティア業務を一頻り片付けたあと、アルツハイマーの兆しか、今日ここで誰と会う約束をしていたんだっけ?と私が自問しはじめた矢先、
 「やあ。来たぞ、来たぞ」
 夜警が嬉しそうに往来を指した。車輪付小型トランクをがらがら引っ張る男が汗だくになって歩いてきた。さすがによく目立つ。
 「タクシーで来なかったのか?」
 この小じんまりしたオフィス地帯では現地人ホワイトカラーも軒並み自家用車かタクシーを利用している。徒歩でやって来る先進国民というのはずいぶん珍しい存在だった。だが、[空]はあたりまえのように言った。
 「そこまでバスで来た」
 「こいつを引き摺って、か?」
 「そうだ」
 男は手ぶら、という自堕落な文化が徹底した国で生まれ育ったバスの車掌は、車輪付小型トランクをがらがら引っ張る外国人が乗り込んできたとき定めし面食らったであろうが、考えてみればそれは賢明な選択と言えなくもなかった。こんな鞄を抱えてタクシーに乗り、行き先を口篭もっていたら、運転手は勝手に空港へ行くものと判断して、ドンムアンへ直行してしまっていただろう。
 [空]のクールな報告は続けられた、
 「まず、SEA OF LOVEからモトサイタクシーで唐人街へ行った。降りる時、20バーツしかない、と言ったら、それ以上何も言われなかったぞ」
 私はぽかんと口を開けていた。[空]はひとり愉快そうに車輪付小型トランクをぽんぽん叩いた、
 「運転手の兄ちゃん、はじめは、大丈夫だ、とか言って、こいつをタンクに乗せてバイクを走らせ始めたんだが、途中からずっと顔を引き攣らせていたぞ。あははは」
 私は傍らで不審そうな顔をしながら異邦の言語の会話に耳を傾けている夜警に尋ねた、
 「ホワイクワンからヤワラート通り。...それって、20バーツで行ける距離かよ?」
 夜警は即答した、
 「無理だよ。50バーツ...いや、100バーツくらい吹っかけられるかも知れない」
 タイ人ブルーカラーのアバウトな見積もりは私の認識と一致していた。タイ人はファランにめっぽう弱い。おそらくモトサイタクシーの兄ちゃんは[空]を白人と思い込み、正当な料金の要求を諦めたに違いない。
 「ふつうならツーリストポリスに突き出されるところだぜ」
 なお蛇足ながら、フリーのポン引きを本業としているタクシーやトゥクトゥクの運転手の中には、こちらが目的地に近いソープランドの名前を告げると、まま、太っ腹にもタダで乗せてくれると言い出す仁がままいる(但し客は男のみ)。ソープランドの駐車場に到着し、一緒に車を降りて、慇懃に玄関へ誘おうとするコミッション目当ての運転手に、「ありがとう。兄さん」と言い、本来の目的地へスタスタ歩いて行ってしまう方法もないわけではないが、それは乗る側に相当の非情さが求められる高等戦術なので、ここでは手口の詳細は語らずにおこう。
 「そおかあ!」
 ご満悦の咆哮が響き渡った。さもしい吝嗇根性を至上の美徳とするカオサン通りの若い日本人バックパッカーでさえ不可能と思える値切りに成功した[空]は、朝の銀行で受けたショックからすっかり立ち直っていた。あまつさえ鼓膜が破れていて帰国したらすぐ耳鼻科の医者にかからなければいけない、と愁訴している割には、夜警や重役のお抱えドライバーたちの前でタバコの煙を左耳から出すといった程度のひくい芸当を得意気に披露して見せる。義理めいた拍手喝采を浴びると[空]はいよいよ喜んで、幾度も幾度も同じ曲芸を繰り返すのだった。しかし、熱しやすく冷めやすい国民性の人々の[空]に対する関心は長続きしなかった。彼らの正面に置かれた、画像が乱れがちなテレビでは、折りしもワールドカップをやっていた。
 「・・・なんだぁ。映りがよくないなあ。どれ、わたしがひとつ直してあげやう」
 白茶けた口調で呟き、注目から取り残された[空]はおもむろに立ち上がると配線がもつれる事務所へ無断で入り込み、ごそごそ点検をはじめ、目を点にするタイ人の前でケーブルを引っこ抜いた。旧式のブラウン管の番組は砂の嵐に早変わりした。
 「オーイっ!」
 タイ人の悲鳴が響く。たとえ低品位画面であろうと、さしあたってそれぞれのボスがお出ましになるまでサッカーの試合を見ていたいドライバー連中は次々と持ち場を放棄して、向かいにあるオフィスビルの同類項の群れに混ざりこんでしまった。だが、技術立国の公務員を以って任じる[空]は、怯むことなく独自のODA思想を発露した。
 「や。これは駄目だ。線があっちこっちで切れているぞ」
 いつの間にやらビルの屋上まで活動領域を広げていた[空]は、頼まれてもいないテレビアンテナの修理に取り掛かっていた。
 「まいったぞ。どこもかしこもズタズタだ」
 そりゃそうであろう。タイなんだから。
 「おれがわるかった。あやまる。すまん!」
 暮れなずむバンコクの中空で奮闘すること約二時間。果たして、シャツを汗と埃にまみれさせながらも、ついにその善意が実を結ぶことのなかった[空]は、元通りの乱れた画像に見入りながら、努力を認めて「コープクン・クラップ」と、にこやかに礼を述べる若い夜警に、誠実に詫びまくっていた。

     おつかれさまでした、同志[空]。
 
 その夜[空]は、帰国するのが億劫になったので片道切符を新たに買ってもいいな、などとわけのわからないことを口走っていたが、金曜日の五時過ぎなので、あと60時間、航空会社のオンラインが開くことはない。日本男児の中には時々、かりそめに契った夜の女にもろくも情が移り(相手は何とも思っていないのに)、にわかに帰国を愚図りはじめる初心な旅行者がいるけれど、品行方正な我らが特別全権工作員にそんな醇風美俗をせせら笑うかのようなスキャンダルの軌跡などあろうはずもない。
 ・・・いや、待てよ。
 私はこの日の昼間、[空]の行動から6時間以上も目を離している。疑念はその隙間に生じていた。バンコクの風俗店は軒並み昼間から営業しているし、ついでに言うと、どうして彼がヤワラートの唐人街などへ足を伸ばしたのかも判っていない。ちなみにシナ人が暮らす混沌の裏町には、21世紀にはいったいまも「冷気茶室・女子専科」という古ぼけた看板が所々に吊るしてあったりする。登出した“四字性語”の意味の解説はここでは省くけれど、目ざとい助平なら容易に見つけることができる字面だ。空白の六時間の全貌が、おぼろげながらなまめかしい輪郭を帯びてきた。
 ・・・いやいや、邪推はよくない。やめておこう(本文に接した[空]が、以後私をいままで以上に警戒し、さらに愉快なポンチネタを見せてくれなくなってしまっては、本末転倒である)。
 いずれにしても、そんな気まぐれを取り合っていたら、[空]の帰国は早くとも火曜日以降に持ち越されてしまう。時局柄、公務員がそんな調子で優雅に休んでいるわけにもいくまい。帰国するのか、しないのか。22時20分。フライトまで二時間を切ったというのに、いつまでも事務所でもたもたやっている[空]を、いきおい私はナトリウム燈がオレンジ色の放列を織り成す表通りへ引っ張り出した。
 「それでは道中の順風を祈る」
 私は帝国陸軍式の敬礼をささげた。
 「なんだ。おまえはドンムアンへ行かないのか?行かないのか!」
 お伊勢まいりじゃあるまいし、見送りとは大げさな。また市内に戻って来るタクシー代も、現地の通貨感覚に染まった私には、ばかにならない。空港など用のある人間だけが行けばいいのである。無回答が私の答えだった。
 「...空港へやってくれ。国際線のインド航空だ」
 「OK」
 止めたタクシーの助手席のドアをあけ、私が運転手に指示を与えていると、
 「オイッ、いま、なんて言ったんだ?なんて言ったんだ!」
 [空]は心臓が喉元へ5cmにじり寄ったような叫び声で割り込んだ。いったいどうしたのだろう?しかし、文節ごとに言語を切り替えて反復するほどの内容でもない。むしろフライトの時間を気にする私は、早口にドライバーへの指図を続けた、
 「ターミナルの第一、第二はわからんが、まあ、兄さんの好きなほうで彼氏を降ろしてやってくれや...」
ふたつのターミナルが離れている成田と違って、横一列に接続されたドンムアンはどちらで車を降りても、とにかく歩いてチェックインカウンターへ行くことができた。
 「OK」
 「オイッ、いま、なんて言ったんだ?なんて言ったんだ!」
 魔都の夜は視認できない奈落の闇がことさら深く感じられる。おのれの身に接近する危険に就いては人一倍鋭敏な想像力を働かせる[空]だった。ひとりで空港へ行けと告げられて大いにびびったようだ。らちもない。ダウンタウンと飛行場のあいだなど十九、二十歳の小娘バックパッカーだって難なく通える往来なのに・・・。だが、何時も裏切られているせいか、この期に及んで、[空]は私をからきし信用していなかった。
 「いいから早く乗りなさい。・・・フフフ、そろそろファイナルコールがかかる刻限だよ」
 面白いので私は悪魔的にささやいた。
 「オイッ、いま、なんて言ったんだ?なんて言ったんだぁっ!・・・」
 疑心暗鬼に陥り我を見失ったライン川の船頭は、転覆の直前にこんな表情を浮かべたに違いない。問いかけは最後まで止むことがなかった。私は意味深長にニヤニヤしながら手を振るばかりで、[空]が聞きたいことには一切答えなかった。後部座席で自己防衛本能が人並みはずれて発達したマキャベリストの後頭部がいつまでも揺れ動くタクシーは、赤い尾灯を曳きながら、欲望と謀略が渦巻く開発途上国のけだるい夜景の奥底へ消えていった。
[空]は予定通り“58時間”のタイ国逗留を終え、たぶんエア・インディア機上の人となったようである。

  こうして、足掛け三日間の颶風は去った。          


  (了)




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