お鷹の道

野川源流地帯の南側をゆく

 野川の源流は国分寺市、旧日立中央研究所の大池である。しかし、中央線の北側に位置するこの施設跡、普段は立ち入り禁止であり、売却が取り沙汰されているものの、都や周辺自治体に新たな公園を建設する財源は無い。ナショナルトラストなど、住民による新基軸の必要を感じるけれど、正月早々、とりあえず今回は、南側のもうひとつの水源、真姿(ますがた)の池など、お鷹の道を中心に点在する湧水群を辿ってみた。

 夜来の雨が路面で凍り、あらためて溶け出した遅い午前。

 散歩に出たものの、野川のほとりで不意にマックのモーニングバリューが食べたくなり、いつもの東とは逆の、西の方角へ足を向けた。

 …すっかり、アメリカの世界戦略に絡め取られているが、100円玉二三枚で朝食らしきものが採れるのは有難いことである。

 前原町三丁目から貫井南町二丁目にかかる橋をわたる。
 関西あたりから来た人が見たら、都営住宅が「いわくつきの集合住宅」と誤解されてしまうのではないかと心配になるほど、ここらへんには狭い区域に異常に多くの橋がかかっている。
 確かに”都営”と言っておきながら、本当に所得の苦しい人には手が出ないような高級車がゴロゴロ停まっていたりして紛らわしいのだが、橋については野川の改修工事で寸断された元の道路が復元されているだけです…念のため。

 閑話休題。岸辺はまだ薄っすら霜が降りていた。

 マックの手前でCOCOバスとすれ違った。

 途中の貫井界隈の画像は他のページとダブるため、一気に国分寺市東元町へワープ…。


 帰らざる橋…と勝手に命名。

 あっち側は「食料」が豊富なのに、こっち岸のゲートはいつも閉まっている。

 世は「韓流ブーム」とNHKが言っている。これくらいの洒落は許されよう。

 人一人、やっと通れる道。

 住宅地と武蔵野の農家が不思議と調和したたたずまい。

 このあたりから始まる景観を、私は「イバラードな亜空間」と呼んでいる。

 不動橋

 大池から流れてくる野川本流に、
お鷹の道湧水群の水がここで合流する。

 野川は市内恋ヶ窪地域内の湧水に源を発し、国分寺崖線下の東、西元町地区など数箇所から湧出する水を集めて、世田谷区内二子橋近くで多摩川に合流しています。



 名前の由来は市内の文献にも見当たらずわかりませんが、おそらく「野の川」「武蔵野の川」という意味であろうと思われます。
 この川を土地の人々は「おお川」と呼び、田んぼの用水に利用し、子供達はよい水遊び場として親しんできました。
製作 国分寺市観光協会

…と、まあ、そういうわけだ。


 わかったか鳩くん、不動さん。 あ…失礼しました。

 気まぐれに、数百メートルだけ本流を遡行してみる。

 しかるのち、お鷹の道へ軌道修正。
 
 幼稚園に上がる前、まだ独身だった叔父たちは、それぞれ家の近所のこんな風情のアパートに住んでいたよう記憶している。

 カッコイイと思ったが、いま見ると、もっといい感じである。
 

 やまざき

 面白い招福表札の店&工房。

 夫婦榎とあいまって、ここはイバラードというより、千と千尋スポットの筆頭格だろう。
 

 そして、夏には蛍が舞うお鷹の道の本チャンへ…

 全長数百メートルと決して長くは無いが、幼稚園や小学校低学年くらいの子にとっては、わくわくするような探検スポットと言えるだろう。

 しばらく歩くと真姿の池の手前にたどり着く。

 水量は、去年の同時期より、さらに少なく感じられた。

 参考までに、去年の様子→

 気を取り直して、数十メートル水源に近づく。

 炊飯や料理の煮炊きのために水を汲む人は少なくない。

真姿の池にうかぶ弁天社

 湧水群はさらに西にも点在している。

 ちょっとした小京都のおもむき。

 武蔵野国国分寺山門

薬師園

 国分寺跡

国分尼寺跡

 鎌倉街道の旧道を抜け、西国分寺駅へ。

ちょっと塚に上がって武蔵野線を見下ろす。産業鉄道だな、やっぱり。

史跡通り住宅の給水センター

ここも、さり気にイバラードな建物だ。

 史跡通り

 冬場で昼間となるとピンと来ないが、夏の晴れた夕方など、この通りのイバラード的趣は真骨頂なのである…と、あくまでも主観を力説する。

散歩に出たのに、根性なしの帰りは電車。

 西国分寺駅


国分寺繋がりで、紅葉の殿ヶ谷庭園



ご 近 所 徘 徊
元気です 萌え〜る緑のしょうがねい市


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