ファル ワッ カル あるいは奇想と機略

 明治の御一新。日本人は近代化と称する西欧化を急いだ。日本では戊辰戦争をクライマックスとする激動期を挟んでいるものの、悠久の時間感覚が支配する亜細亜一帯では、まだまだ阿片戦争の硝煙のキナ臭さが消えやらぬ時代である。物理的な軍事技術の優劣が国家の存亡を左右していたことを思えば、日本人が西欧の技術と知識を貪欲に学ぼうとした姿勢は賢明であり、お隣の事大主義に拘泥するあまり、遂に国を誤った某王朝の末裔たちを見るにつけ、明治の先輩方には感謝の念をおぼえずにいられない。
 しかし、キリスト教徒のお雇い外国人たちは、自分たちの祖国と東洋の勤務地のあいだに勢力を保つイスラムについて、いとも簡単に「過去の宗教」と論じ、切り捨てた。日本人は素直に教えを鵜呑みにすると、以来、メッカに群がる端倪するべからざる世界規模の宗門を、キリスト教より低く見なし、その風俗習慣を野蛮なものと考えるようになり、ほとんどの者はクリスマスに浮かれることはあっても、イスラム世界に事新しく関心を寄せようとはしなかった。キリスト教徒から与えられた色眼鏡は、有史以来、さまざまな信仰を自然に受け入れ、吸収し、自分たちの血肉に取り入れてきた日本人の柔軟な審美眼を大いに曇らせた。その後遺症は今日に至っても治癒の兆しをみとめることができない。

 ロンドンの地下鉄および路線バスで「テロ」が起きた。
 9.11事件や連日のようにイラクで行われている自爆攻撃をすべて「テロ」と呼んでしまうのはグローバリズムのマインドコントロールに置かれている証拠であり、同時にイスラムに対する本質的な無知をさらけ出している(しっかりしてね、筑紫哲也さん)。ボクシングとの他流試合で、「殴るのは掟破りだ」と喚き散らす関取がいたら、そいつはきっと世間から「ばか」と冷笑に附されるのではないだろうか。はじめに指摘しておくと、イスラム的視点で見れば、これらは伝統に則った通常の戦闘である。


 コーランの副読本で規範を記したハディスには、戦争の基本思想と言うべき「ファル・ワッ・カル」という項目がある。訳すると、奇想と機略、といった意味合いになろうか。まず、敵軍を自分たちのテリトリーに引き入れ、目立つ位置に釘付けにしてから、十年かかろうが、百年かかろうが、攻撃を繰り返し、ジワジワと消耗を強いて最終的に撤退させる。開祖マホメット以降千四百年間、イスラムの戦闘単位は、こうした戦術思想に則って運用されてきた。
 友好であれ、騙し合いであれ、イスラム世界と関わる者なら、当然知っておかなければならない相手方の発想パターンである。彼らと戦争をしようと言うのなら、なおさらだ。
 ところが、ブレアさんも、ミスター・ジョージ・ウォーカー・ブッシュも、それぞれリアクションや表情をテレビで観察する限り、まるで解っている様子がない。特にブッシュさんは、かれこれ二年前、バグダッドの占領直後、つまり相手にしてみれば将棋の駒を並べ終わったばかりの段階なのに、空母エイブラハム・リンカーンの飛行甲板で早々と「勝利宣言」をしていた。その趣たるや、試合が始まる前のリングサイドで、放送席からマイクを奪い取り、「アイ・アム・ズィ・チャンピオン」などと吼えている三流プロレスラーとまるで変わらなかった。その後のイラク国内における事態の推移は、報道される戦死傷者の数が示す通りである。軍産複合体という猿回しが操るエテ公にけしかけられ、母親や兄弟、恋人から引き離されてユーフラテス河畔に朽ち果てるアメリカ青年こそ、よい面の皮である。
 いずれにしても、ファル・ワッ・カルは教本通りに履行されているといっていい。

 「非正規軍」によるゲリラ戦、という考え方にも言及しておこう。
 もとよりイスラム教徒にとっては、イスラム教徒であることが第一義であり、居住する国の国籍は、あくまでも二次的な因子に過ぎない。したがって、「国軍=正規軍」の意義は、アメリカ型共和国、日本やタイのような民族国家のそれらに比べて著しく希薄である。「イラク国内で活動する外国人武装勢力」という言い方も、ザルカウイ(ヨルダン国籍)をはじめ、「イスラム教の戦士」を自認する者にとってみれば、まったくのナンセンスである。
 また、部隊編成に対する認識にも違いがある。十人前後の分隊を最小単位に、四五十人の小隊、二百人の中隊、八百人の大隊があって数千人の連隊。連隊が二つなら旅団、四つ以上あると師団、さらにこれらが複数集まって軍を成す。「軍隊」と言うと、規律といい、数字といい、杓子定規な規格品を連想してしまうが、このような戦術単位もまた、近代ヨーロッパで編み出された歴史の浅い、きわめて局地的な思想であることを弁えておかなければならない。日本においても国軍の歴史は山県有朋が徴兵令を施行してからのこと。それ以前の幕藩体制下では、大名は一万石につき二百人の藩士を召抱える目安があったが、鎌倉時代あたりまで遡ると、同じ御家人であっても幾千の郎党を擁するご大身から、「いざ鎌倉」の緩急に際して二三人の家来しか集められない貧乏侍もいた。部族が直接戦闘単位を構成するイスラム世界では、本気で行う戦争は人数や装備にバラツキのある戦闘集団が、それぞれ己の力量に合った戦いを任意でおこなう。欧米人や近代日本人の目には、それがゲリラと映り、貧弱な装備を工夫して用いる戦い方はテロに見える。イスラムは一般に多産だが、これは戦いによる消耗を見越した人口確保の知恵に他ならず、自爆攻撃も乏しい火力を最大限有効に活用するための正攻法、と受け止めておいたほうが、少なくとも非人道的テロ行為と眉をひそめるより間違いがないだろう。

 話をロンドンに戻す。
 軍隊を外国へ送り出す国は、遠征軍が目的地に到着した時点で自分たちの本国も戦場になった、と考えるのが大人の常識であろう。オリンピック開催が決まり、サミットで舞い上がっていたブレアさんは公衆の面前で水を浴びせられたわけだが、考えるまでもなく、もし自分が攻撃者なら、この日ほどお誂え向きなD−DAYはなかったわけで、世界に冠たる英国の情報機関は、いったい何をやっていたのか?と首を傾げざるを得ない。やはりスコットランド人では大英帝国の大番頭が勤まらないのだろうか・・・。ブッシュさんも一緒に怒っていた。ルビコン川を渡るのもいいが、ハンニバルがどうやってローマを陥したのか、この人は知らないのだろうか?ずるいのはロシア人と中国人。ここで英米の単細胞たちに同調しておけば、チェチェンやウイグルで多少荒っぽい真似をやらかしても、「テロ撲滅」の旗のもと、煩く咎められることはない。
 困るのは、うちの小泉さんである。いつものように口をへの字に結んで、誠実に頷くばかり。あそこで、「イラク復興支援は日本に任せて、アメリカさんとイギリスさんは手を引きなさい」と啖呵を切ってくれたら、世界の歴史はここで大転換を遂げていたはずである。もちろんブッシュさんはイエスと言うまいが、十一億イスラム教徒は大いに快哉をさけんだであろう。

 第二次世界大戦の終結を契機に、アラブ・イスラム世界は、工業立国日本にとって、産油国という無関係では決して済まされない存在感を示すようになった。
 だが、日本人は生きるためにアラブ人と付き合うけれど、先方の得体が知れない価値観にまで立ち入ることはなかった。未曾有の敗戦で自尊心を見失った国民は、しかし、自分たちが戦争によって、砂漠に住む色つき肌の民衆から敬愛されるようになったことに気がつかないまま、その潜在的な怨嗟の対象である白人のオイル・メジャーを介して原油を買い続けてきた。
 自衛隊のイラク派遣が決まった頃、知己のパキスタン人が真顔で言った、「アメリカの兵隊と同じ格好でイラクへ行くのは感心できない。日本人なら、カーキ色の軍服に日除けのついた帽子、ゲートル巻きで、武器は38式歩兵銃と銃剣だけ携行すればいい。アルカイーダも、ザルカウイの一党も、日本帝国の陸軍に刃を向けることは決してない」。
 付け加えれば、アメリカが縄張りした計画とは一線を隔し、日本独自の高度経済成長を再現するようなプランが最も歓迎される、とのことだった(ちと、違うような気がするが・・・貧困の根本的解消策は食料の増産じゃないのか?)。私自身、これまで仕事で回ったイスラム国は十数カ国。不愉快な体験は(よんどころない事情で)国籍を中国や韓国と偽って活動していた時だけに集中しており、それ以外は軒並み「アメリカと戦った英雄国民の末裔」として歓迎されていた。米軍と同じ装備でイラク入りした自衛隊を、私を厚遇してくれた彼らがどんな気持ちで見つめていたか、それを思うと申し訳なさで息が詰まる。

 斯くなる上は、イスラム原理主義者にとって、日本列島はすでに戦場である。
 オリエンタルランドの経営母体である某大商社が裏で得意の寝技を仕掛けていない限り、浦安の遊園地などは危険度頗る高し、である。子供を大勢殺戮されることにアフガニスタン人やイラク人はいよいよ鈍化しているが、宅間守ひとりの犯行に日本全土が戦慄した。浦安で酸鼻きわまる事件が起きれば、胆力もポリシーもない日本国民は報復より撤退を叫び、腹いせに小泉さんを吊るし上げるだろう。


 ファル・ワッ・カルとは関係ないが、しばしばゴシップ感覚で論われるカルチャーギャップ、一夫多妻制度について解説しておこう。
 イスラム教では、夫が四人の妻を娶ることが認めてられている。フェミニストはヒステリックに「女性蔑視」と攻撃し、健康な男は女房に内緒でうらやましがる。・・・どっちも、何も解っていない。一言で言ってしまうと、この制度は戦いで一家の大黒柱を喪った母子家庭の救済措置である。マホメットの時代、アラビア半島に市役所はなく、厚生労働省もなかったため、夫を亡くした女は、生活保護も、軍人恩給も受け取ることができなかった。しかし置かれた環境は現在と同様、暑くて、水に乏しく、ままパウダー状の砂嵐が吹きすさぶ。日本のような、やおよろずが在します森の国で生を受けた者には感覚的に想像できない過酷な世界だ。こんな荒野に抛り出されたら、如何に靴のサイズが27.5センチのアラブ女であっても、子供を抱えて一日と生きてはいられないだろう。いくさ場に向かう男たちは当然、もし自分が死んだ場合の妻子の明日を案ずるようになる。しかし、戦わなければ部族全体が滅ぶ。そこで編み出された対策が、生き残った者による、死んだ仲間の家族を扶養する制度の確立だった。マホメットは決して、妻のほかに若い妾を三人まで囲っていい、と言っているわけではない。おまけに、平等に愛しなさい、と閨房の秩序にまで細かな注文をつけている。アメリカ中部のグレートプレーンで発展したプロテスタント系のモルモン教も、一夫多妻を容認している。これも僻地開拓の難工事によって未亡人が続出したためである。当人同士は気がついていないが、実はイスラム教とモルモン教には共通項が多い。モーセのようなスーパーマンでもなく、イエスのような神の子でもなく、ごく普通の善良な男たち(マホメットとジョセフ・スミス)が既成宗派の迫害と劣悪な環境の中で啓示を受けて開祖になったのも運命的だ。反世俗的な戒律がミスマッチではあるけれど、両者の行政感覚は至って現実的である。一方、土地が痩せた高原地帯で暮らすチベット民族には、食糧不足を避けるために多夫一妻制(男兄弟が一人の妻を娶る)を習慣化させている部族もある。結婚しない女児はラマ教の尼寺に入り、宗教的な生活を送って人口の横ばいを保つ。殊、男と女に関する規範は、社会情勢と自然環境によって、千差万別な様相を呈するものである。

 ちなみにイスラムにおける婦人の労働制限も、本来の目的は、無慈悲な夫が過酷な屋外の労働に妊娠した妻を駆り出さないようにするための母性保護だったわけだが、これも現代の偏見に凝り固まった人々から、ずいぶん頓珍漢な誤解を受けているようだ。もちろん、これ見よがしに若い第二夫人を連れ回すブルネイの王様や、アラビア半島より人に優しい環境で女のオフィスワークを禁じてきたタリバンなどが、マホメット思想の継承者として甚だ疑わしい料簡の持ち主であることは言うまでもない。
 マホメットは千四百年前の人。引き換え、ローマン・カトリックの聖職者が「女は人間か?動物か?」と真顔で論じ合ったマーコンの森の宗教会議は三百年前のこと。日常キリスト教徒の暦をなんとなく使っているフェミニストは、「女性蔑視」という言葉の意味を、いっぺんじっくり吟味してみるといいだろう。

 イスラム的思考の事例をもう一つ。

 パーレビー国王は国庫を私物化していたから民衆の怨嗟を買い、1979年のイラン革命で追放された・・・
 この「常識」の間違いを知っている日本人は、いったいどれくらいいるのだろうか?
 パーレビーが失脚した本当の理由は、経済や軍事を短期間のうちに欧米流へあらためようとしたイスラムの戒律違反である。性急な近代化は深刻な社会矛盾を惹き起こす。多くの弱者が変革から取り残される。マホメットの時代においても解りきった世の中の筋書きだから、不平等を是としないイスラム教は安易な変革をきつく窘めている。にもかかわらず、パーレビーはアメリカの最新鋭戦闘機を買おうとした。蒼古の昔から土候の横領くらいは大目に見てきた民衆も、戦闘機が象徴している極端な近代化には我慢がならなかったわけである。国王と入れ替わりに帰国したホメイニは、弛緩しきっていた手綱を、戒めをこめて以前よりきつく締め上げた。これが「悪の枢軸」の原風景である。

 蟹は甲羅に合わせて穴を掘る。人間は自分と思考回路が異なる相手を異端視して突き放し、めったにその価値観や論理を読み取ろうという努力を払わない。トラブルは常に理解不能な相手が原因。正義という言葉は21世紀の免罪符。こいつを連呼して相手を叩きのめせば勝利の杯。果たして、無知と誤解の連鎖は尽きることがない。
 これからの日本人として、くれぐれも覇権主義者の不見識に付和雷同することなく、偏見にとらわれない眼力を養い、自らの意思で世界を切り拓いて王道の秩序をもたらす責務をまっとうしていきたいものである。


白雲追跡 田中逸平の産土をたどる


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