APEC検証
at 2003 10/26 22:53
ほんの数年前まで、ハノイの町の中心部に高い塀に囲まれ、「ファントム・プリズン」と渾名される収容施設があった。
口に戸を立てざるを得ない体制下、しかし、この中にどんな素性の囚人たちが収監されているのか、ベトナム庶民のあいだでは公然の秘密とされていた。
物語自体はくだらないが、映画「ランボー」シリーズは実話が下敷きになっている。
ビル・クリントンという男は馬鹿か、馬鹿でなければ見下げ果てた偽善者だった。必然もないのにベトナムとの国交回復を急いだ。そして、調印の数日前、ファントム・プリズンは、突如として硬い門を開き、公園として開放されたのである。
ベトナム政府が、いざという時、アメリカとの交渉で切り札として使おうと温存しておいた囚人たちは、無用となったばかりか、存在自体が却って新たなトラブルの種になる難しい立場に追い込まれた。
アーリントン墓地に名を刻まれつつも、初老の年代に差し掛かっていた彼らは、ベトナム政府の手で人知れず、(最悪のケースを含め)どこかへ厄介払いされてしまったらしい。
さて、酔狂にも、この「おぼえがき」を見ている人のうち、いったい何人が、これまで彼らの救出のために真剣な努力を払ってきたのだろうか?
忌憚なく言って、九割九分九厘の人は、そんな問題があったことさえ知らないだろう。
あまつさえ「あんたが解決してやれよ」と言われりゃ「なんで、俺(あたし)が?」と迷惑顔を露にするだろう。・・・関心がないのが自然であり、関わりを避けたいのも正しい反応だと思う。
小泉首相がAPECで北朝鮮拉致問題の解決を訴えたものの、各国首脳からまともに取り合ってもらえなかった事実は記憶に新しい。
水面下で中国とロシアが北朝鮮を守る格好で、日本の要請を妨害したことは、本題から外れるので、一旦無視しておく。
その他の国々の場合だが、関心がない、というより、そんな話は日本人が自分たちで直接北朝鮮当局とケリをつけられねーのかよ?という、半ばウンザリした意思表示だったように思う。日本人は一億二千万人もいる。これに対して北朝鮮の人口は二千万人。六人で一人を説得すれば済む話じゃないか、という理屈にどんな不条理やイジワルが見出せるだろうか?・・・・俺も、それが本来の筋だと思っている。
どの国も、諸国民の公正と信義に信頼している我が国とは考え方が違うのである。
それでもなお、安全保障という意味合いで各国の協力が必要であれば、彼らが日本を手伝わざるを得ないような環境をあらかじめ構築しておくことが肝要なのだ。にもかかわらず、「日本が域内のために、こんな貢献を果たしたい」という能動的議論、有体に言えば国際戦略の立案を、いつものことだが、すっかり等閑にしていた観がある。
金を拠出するだけでは誰も耳を貸さない。財布の開閉は持ち主の任意であって、財布自体に意志があるとは誰も考えていない。だからイラク復興基金とて、びた一文出さないフランスは、小姑的煙たさゆえに、ちゃっかりイラク権益を約束されているというのに、1650億も出す我が国には分け前がまったくない。
・・・いや、従来の因果律に拘るのはよそう。
「戦後」と呼ばれる時代、よそに関心を向けず、自分たちのことだけ考え、日本は財を成す作業に専念してきた。
俺の信念や思い込みでなく、単純な力学上の反作用によって、我が国は貯めこんだ富を吐き出さざるを得ない時が必ず来るはずだ。いや、もしかすると、バブル崩壊を第一期とすれば、いまが第二期に当たるかも知れない。毟り取られて不本意な使われ方をするか、自ら太っ腹な旦那として、未曾有の事業に世界を動員するか、とどのつまり、我々が能動的姿勢をどれだけとれるかによって決まる、人間としての自尊心を賭けた分岐点となるのは間違いない。
ファントム・プリズン、イラク復興支援。そして拉致問題への協力確保が結実しなかったAPECの余韻の検証は、重要であり、急を要する。
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