暗い日曜日



 小金井にはJR中央線が通っている。
 ここは私が日本を離れているあいだに、すっかり自殺の名所という不名誉な称号を与えられてしまった観がある。
 
 つい先だっても、新宿から帰宅する際、妖気漂うノロノロ運転に出くわした。
 多摩地区では朝から雪が降っていたので、その影響かとも思ったけれど、おもむろに、ありふれたアナウンスが流れ出した。
 「本日、十九時ごろ、東小金井駅構内で人身事故があり、五十分ほど運行が遅れております。お急ぎのところ・・・」
 ”人身事故”と暗示されて、その内容をおよそ察知できない沿線の住民はいない。
 自分が家を出た刻限には、同じひんやり湿った空気を吸っていた誰かが、忽然と、この世からいなくなった。しかも、現場は小金井ときた。通俗的な意味においてもサディストの傾向は自覚しいるが、私は少なくともヒューマニストや博愛主義者の類ではない。にもかかわらず、理屈抜きで、暗澹とした気分になった。

 「死んだな」

 そばにいたサラリーマン風の男が、同僚らしい連れに諦めたような含み笑いで耳打ちする。彼の家路が遠のいたのは、傍目にもあきらかだった。囁かれたほうも、口元を緩めるばかりで何も答えようとしない。
 もし私が聞かれても、同じように無気力な反応を示すはずだった。
 もはや慣れっこになってしまった通勤客は、死者に怨嗟の声を手向けることもない。
 問い掛けられても、コメントも返せないほどつまらない趣向。
 赤の他人の自殺とは、とどのつまり、そんなものかも知れない。

 男か女か、幾つくらいの年齢か、どんな社会的身分で、どんな事情があって、その人が数十万人が影響を受ける帰宅ラッシュの中央線に自身の介錯を委ねたのか、わからないし、興味もない。受動的な視野から、とうとう抜け出せなかった人間の数が、韻却のない後味のわるさだけをのこして、ひとつ減った。そんな人物がこの世に存在したことを、ノロノロ運転の列車でかりそめに苛立った人々は、ほどなく忘れてしまうだろう。

 周知の通り、列車を止めれば、莫大な額の賠償請求が遺族に突きつけられる。
   発つ鳥あとを濁さず
 近親者たちに対して、こうした最低限の配慮も等閑にするくらいだから、果たして本当に生きている値打ちがあったのかどうかも定かでない人について、
   「死んで花実が咲くじゃなし」
 などと、人格者面して同情を手向ける気はない。


 それでも、これから死のうかどうか考えあぐねている人には、とにかく「現下の浮世と決別するのも厭わない日本人」の頭数を確保しておきたい、という私の一身上のエゴに基づき、意見を申し上げておこう。

 どうせ捨てる生命なら、どうか、おれにくれ。

 借金取りが怖いのなら、あの世へ逃げる前に、一旦国外への遁ズラを検討してみようじゃないか。おれはこれでも、「馬」と呼ばれる、ようするに犯罪者だった。おまけに、追い込みをかけられた経験はあるし、追い込みのアルバイトをやったこともある。どちらの思考パターンも、それなりに読めるつもりだ。こうした下世話なキャリアを恃めば、母語を共有している人間のひとりやふたり、国外へ逃亡させるくらい、訳もない。
  手引きしてやるぜ・・・

 ぶっちゃけた話、ふつうの、可もなく不可もない暮らしに愛着をいだく人たちには、なかなかご協力を仰ぐことができない案件だが、一緒にジャングルや砂漠で活動してくれる仲間がほしいのだ。
 やることは、ひたすら土を作って、バカみたいに木を植えること。
 それで、自分が入る棺桶の材料を補填する。
 ・・・まあ、もう少し、ペシミスティックな言い回しを排して言えば、自分たちが常日頃、消費している酸素をのんびり補填するプラント建設と思ってくれていい。
 もちろん、日本に比べて気候風土は過酷だし、毒ヘビや蛭、さまざまな伝染病のウイルスがいて、ごくたまにではあるけれど、武器を持った人間同士の殺し合いも発生するような現場がほとんどだ。しかし、こうした地獄の軒先に足を踏み入れるくらい、ひとたび死神の声を聴いた者なら造作はあるまい。

 ついでに言っておくが、カネはないけれど、生きている間の飯は保証する。

 ただし、おれがあんたを食わせてやるわけではない。そうした土地には、我々を心から歓迎してくれる貧しい無告の大衆が暮らしている。
 たとえ本国では一億二千万人中、一億一千九百万番目の教養水準であっても、九年間の義務教育を修了している日本人なら、一歩国外へ踏み出せば、六十三億人中、五十億番目の”無知指数”に落ち着くはずだ。
 アフリカには、あんたが小学校で習った理科の知識を必要とする数千万人がいる。アジアの赤貧地帯には、自殺の方法を選択できるような柔軟な発想力を持ち合わせないがために、苦しんでいる数億人がいる。

 彼らは、たとえ自分がひもじくても、来臨した「使えそうな異邦人」を、決して飢え死にさせるような真似はしない。
 一度死んだのだから、不味くても、とにかく有難く頂く。
 そして、ちょっとした心がけでいい。
 こうした人々の好意に報いてみようと感じたら、その時点で、裸一貫のあんたは、彼らが必要とする人間、すなわち英雄になってしまうかも知れないが・・・




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