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武蔵小金井の駅前で「大城堀」と言っても、輓近は
つくば観光のタクシードライバーとしか会話が成立しない

・・・なんか、味気ない。



昭和三十年代半ば。水量豊かな野川の流れ。
当時は、「大川」と呼ばれていた。
前方にならぶ家作は都営住宅。
前原小学校は、影も形も無い。



小金井の坂下、丸山台と西ノ台 (* ・・・これらも点鬼簿入りした地名だな)
に挟まれた、市道20号線を軸線とする前原町三丁目東南と五丁目北東を

特定する、きわめつけの超ローカル的呼び名である。
しかし、この地域は、高度経済成長の頃まで、
日常的に大城堀と呼ばれていた時代があったのだ。



のちに松濤学舎が建つ地所

手前に野川、前方に横たわる森は三鷹国分寺崖線。通称= はけ。
前原小学校の第一校舎が認められるので、昭和39年くらいだろう。
やがて堀君の家などが建ち、当家の屋根からこのように見えることはなくなった。



雪の朝

スケールのでかい雪合戦ができた


前原小学校建設用地

前身の「第一小学校分校」も見当たらないので、昭和38年以前である。


旧小金井街道を望む

左の写真と同時期の、前原三丁目
16街区(正面)、17街区(左手)。


小金井街道(旧道)

右手の塀は、地主の鴨下さん
の屋敷である。



小金井街道(新道)

武蔵小金井駅方向(北)を見る。
電柱のあたりには、現在、並木さんのファミリーマートがある。



盆踊り

櫓は、上の繋ぎ写真の右手にあるものらしい。


大城堀の水田

野川南岸から現在の前原町三丁目3街区を見る。


なぞの地下壕の上?

現在の五丁目20街区西側。
ここには大きな廃屋と得体の知れない地下壕があった。


はたけ

何を作っていたのか、畑もあったようだ。



旧小金井街道大城堀橋付近


正面左手に小金井街道(新道)、右手に墓地。
橋に欄干はない。
現在は手前右側に三弘舎があり、野川は改修されて背後を流れている。



* 丸山台と西ノ台..... それぞれ、おおむね前原町四丁目南部と貫井南町の東端と理解しておけば宜しい。



小金井市立第一小学校

昭和二十年代後期の写真である。

ぜんぜん大城堀ではないが、前原小学校はこちらの「分家」として開校した縁がある。
そして何より、ナポレオンの松と、うちの事務局長(OB)に敬意を表して・・・


omake !!



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