南京ゾンビ C


 ついに玄関が破られた。
 「ああん、いたーい!」
 藁陽子が艶っぽい悲鳴をはじかせると、ゾンビの群れがロビーに流れ込んできた。服務員たちは一斉に斧を放り出し、中二階へ駆け上がって来た。逃げ遅れた数人が、皆の見ている前で餌食になった。
 「ええ!なんて不甲斐ない!」
 土門たま子は傍らにあったスタンドライトを掴み取り、逃げて来る連中を威嚇した。
 「あなたがたは、たたかうのです」
 本人はユディットを気取っているつもりだったが、傍目にはエゴイズムを丸出しにした砂かけ婆の督戦隊にしか見えなかった。進むも地獄、さがるも地獄。仕方なしに服務員たちは、持ち場へ戻る。だが、一旦崩壊した戦線は、決して修復できるものではない。
 服務員たちは個別撃破され、敢え無く玉砕し、お約束通りゾンビ陣営に加担して寄せ手にまわった。
 「バカっ!裏切り者!」
 泣き顔で、藁陽子が服務員の格好をした真新しいゾンビにあらん限りの罵声を浴びせた。ややあって、近江が身を乗り出した。
 「私が、彼らと話し合いましょう」
 危機に臨んでノーペル賞作家は、凡人の頭からは決して出てこない発想を披露した。呆気にとられる一同を前に、人格者は淡々と続けた。
 「彼らも、ついさっきまでは人間だったのです。真心をこめて語りかければ、きっと何か、大切なものを分かち合えますよ」
 上階に通じる階段の踊り場まで後ずさりしていた土門たま子は簡潔にいった。
 「それじゃ、近江さん。あとは頼んだわよ」
 若い藁陽子と過激派活動で鍛えた辻聖美はすでに上階へ逃げていた。
 「あっ、ちょっと」
 近江の瓶底メガネが哀しげに何かを訴えていたが、土門たま子は省みもせず、山姥のような形相で、薄情な後輩たちの後を追いかけた。
 最上階まで来ると、暗いエレベーターの前で、近江響が、ナメクジのような青白い顔でぼんやり佇んでいた。
 「ひえっ・・・!」
 土門たま子は、失禁しながら身をのけぞらした。
 「あ、あの、な、なにか、あったんですか」
 ダウン症の発作のため、つい今まで休んでいた近江響は問い掛けた。
 「驚かさないで!あたしゃあんたがてっきり・・・」
 と、状況説明の前置きに、呼吸を荒立てる土門たま子は、耳を塞ぎたくなるような差別用語を連発した。
 「・・・というわけで、あんたのお父さんは立派に散華され、護国の鬼となりました」
 ここまで言いかけると、響は土門の背後を指差した、
 「あ、お父さんだ」
 階段を、よろよろと、血まみれの近江健三郎が上がって来た。トレードマークの瓶底メガネに、すでに表情はない。おまけに背後には、夥しい人間の形をした魑魅魍魎が続いていた。
 「うっぎゃあ!死国の鬼が来た」
 土門たま子は近江響を人間の楯として階段に突き飛ばし、自らは屋上に通じる反対方向へダッシュした。やがて後ろから、
 「どうしたの、お父さん。お父さん・・・ギャーっ」
 という声がひびいた。
 鎹をかませて封印したばかりの扉を破り、ゾンビが屋上に溢れ出してきた。
 「やるっきゃない!」
 多勢に無勢。しかし、土門たま子の腹は決まった。
 もし、国会の党首討論が格闘技によって雌雄を決めるなら、頂点に君臨する党首は間違いなく土門その人であろう。テコンドーの構えを作ると、土門は一撃で数体のゾンビを宙に飛ばし、地上へ叩き落した。
 「さあ、どこからでもかかって来なさい」
 だが、ゾンビは立ちはだかる土門たま子を前に混乱した。しばし睨み合い、ゾンビのほうが踵を返した。
 辻聖美にしがみついて震えていた藁陽子が感動も露にさけんだ。
 「すごいですね、党首!やっぱり、気迫の勝利ですよ」
 辻はTVSのクルーがチャーターしていたヘリコプターに乗り込むと、冷静に計器類をチェックして、落ち着き払った声でコメントした。
 「おおかた同類と思って、諦めたのとちゃうか」
 自動車泥棒と同じ技術を用い、辻は直結でエンジンを始動させた。
 死者たちも、生命力の塊のような化け物を同類と見なすのは不自然と察知したのだろう。本能の疑念から解き放たれ、ゾンビがふたたび攻めて来た。
 操縦席の辻聖美は、ローターを最大出力で回していた。
 「代表。乗るなら早く乗って」
 自動的に党首自らしんがりに立っていた土門の巨体が転がり込むと、機体が大きく傾いた。折しも機体にしがみ付こうとにじり寄っていた近江親子の首が仲良く夜空にとんだ。



 東の空に黎明がさすと、筑後は背後に尾を引く夜の空間を顧みた。
 「振り切ったな・・・」
 疲労と恐怖と寒気から、筑後の声はかすれていたが、石に噛り付いてでも生きようとする気迫は十分残っていた。
 「まだ、わかりませんよ」
 プロ根性と賞賛されるべきだろう。カメラマンは、重いカメラを肩に載せたまま、最後の気力を振り絞って相槌を打った。
 北極星を頼りに夜通し歩き、明け方。霜の降る悪路が途切れると、そう遠くない所から、メリハリのある中華語の号令が聞こえた。ポプラの並木が見える。そして、機敏に動く人影がある。どちらも生きている人間のものだ。南京に通じる街道は、人民解放軍の小隊が遮断していた。
 「助かったぞ」
 筑後哲也とTVSのクルーたちは、両手を振って、十数メートル先の畝で歩哨に立つ若い兵士を呼ばわった。
 「ブラボー、チャイニーズアーミー」
 「グラッチェ!メルシー!スパシーボ」
 死の世界から人間界の入り口に辿り着いた三人は、思い思いに歓喜の声をあげた。
 ところが恐怖に顔面神経を引き攣らせた兵士は、ありったけの弾丸を突如現れたネズミ色の人影すべてに撃ち込んだ。こんな顔色をして、わけのわからない叫び声をあげていれば、異常事態に緊張する兵士の措置は当然のものと言えよう。カメラマンのバッグが被弾し、大音響と共にその身体が四散した。TVSの戦場カメラマンは、南京下関の波止場で拾った人民解放軍の手榴弾を密かに隠匿していたのである。一同を射撃した若い兵士は、思いがけない意趣返しで顔中を蓮の花にして、即死した。
 筑後哲也は、世の中の全てが信じられない表情で、額に開けられた第三の目が照らす世界の奥底へ引きずり込まれていった。
 なお、TVSクルーの遺品となった無声のビデオ画像には、狂ったように青龍刀をふるい、丸腰で歩み寄る中国人民の身体を両断しまくる筑後哲也の姿が映し出されていた。在米の中国系女流作家、張潤如は、このフィルムを、日本人による中国人に対する残虐行為の物的証拠として紹介し、国民に占める単細胞の含有率が96.5%と世界一高いアメリカ全土に一大センセーショナルを巻き起こしている。



 南京の空域を出る前にヘリコプターが燃料切れとなり、不時着した人民解放軍の基地で、放置されていた装甲車を失敬すると、どこまでも悪運の強い女どもは、数千のゾンビをキャタピラに巻き込みながら、死地の脱出に成功した。上海の領事館に駆け込むと、土門たま子は開口一番に言った。
 「やれやれ、散々な目に遭ったわね。いいですね、金輪際、我が党はファッションショーなど、誘いがあっても協力しません。どだい、あんなものはファッショ勢力が仕組むプロパガンダの一環なんですから」
 領事館で三人を出迎えたのは、バーバリーのトレンチコート(贋物)に身を包む桃崎一佐だった。桃崎は、昨夜、上海入りしたばかりだった。
 「ふっ。内地より、皆さんを救助に上がりました」
 好意的な反応を期待していた桃崎だったが、
 「役立たず!いまごろ来やがって遅えんだよ」
 辻聖美は、ずべ公口調で怒鳴り、過激派仕込みの総括回し蹴りを情け容赦なく自衛隊員の腹にのめりこませた。
 「げ、ふっ」
 「そうよ。この子持ち!スケベ!税金ドロボウ」
 藁陽子も憲法違反の男を驚くほど貧弱な語彙で支離滅裂に罵倒し、伸びきった爪で顔を引っ掻いた。
 「ふっ、ぎゃ」
 「およしなさい」
 制止したのは土門たま子だった。平和憲法党の党首は、美男の騎士、桃崎の姿を前に、すっかり人格を変えていた。野太い声で、つとめてメロドラマに出てくる女優の口調を真似、
 「ももちゃあん。本当は、とってもこわかったのよお。あーい、あい・・・」
 といい、ゾンビのようにむしゃぶりつくと、雄ライオンの咆哮を思わせる声で、しかし本人は恋愛物語のヒロインを気取りまくって泣きじゃくった。
 「ふっ」
 クールな顔で身体を石のように硬直させたまま、自らの人生、過去の麗しい思い出、自尊心、すべてを否定する桃崎一佐も、累々と涙を流した。



 エピローグ

 見落とされていたのは科学部第六十九工廠、主任研究員の徐来福ほか三十人のなれの果てである。特性の不老長寿の液体に四十年間漬け込まれていた彼らには、肉体の崩壊という現象が起こらなかった。
 赤衛兵と公安への不信感、そしてマオ主席に対する忠誠心だけを生前の記憶とする肉塊の群れは、普通の人間の食事と同じスパンで生きた人間の血液を体内に取り込み、永遠にマオ主席を捜し続ける。
 三十体は、行動を共にしていなかった。帰巣本能に従って、それぞれの生地へ向かっている。その中には、貨物船に潜り込んで日本へ向かうモノもいた。
 オリジナルのゾンビが域外に出る前に、核弾頭の投入で事態の収拾を計ろうとした元国家主席、江濯民の直感は正しかったのである。
 赤衛兵と公安に発見されぬよう、南京から人里はなれた獣道伝いに移動を続けていた徐来福の開ききった瞳孔に、異常寒波に見舞われる北京の雪景色が映った。
 本能で、徐は思った。

 ようやく、暖かく、滋味豊かな栄養分を、たっぷり摂取することができる・・・




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