南京ゾンビ @


 プロローグ

 文化大躍進の嵐が去って間もない中華共和国では、まだ欧米や日本の帝国主義に踏み荒らされたままになっている国土の再建と併行し、人民に四千年の誇りを回復させるべく、様々な科学的分野の研究が進められていた。
 南京市郊外の科学部第六十九工廠では、主任研究員の徐来福の指導によって生命科学的画期的革新的な極秘研究がなされていた。
 古ぼけたコンクリートでできた研究室の中央の床には、一辺十メートル、深さ三メートルの竪穴が穿たれ、水槽になっている。中には異様なピンク色をした液体が炭酸系の泡を立てていた。
 「徐同志」
 部下の一人が慣習的な敬称をつけて上司を呼ばわった。担架で運ばれていくのは、反動主義者の、ずぶ濡れになった死骸だった。実験は、また失敗したようである。
 「我想。蘇生には、断続的な空気の振動が効果的。蘇生後の筋肉細胞と体液の再生は没有問題。但然、脳細胞の壊死を食い止める方法が課題あるな」
 「好的。我々中華人は、またしても人類の歴史に偉大な金字塔を打ち立てる。蓬莱一号の完成は間近あるよ」
 徐来福は北京の生まれだった。商売好きな南の中華人と違って、北華人には政治好きが多い。しかし、政治に興味がないのは部下の研究員たちばかりでなく、徐も同じだった。
 「これは大変な発明だ。僕からも祝福を述べさせてくれ」
 大東亜戦争最中、祖国を裏切って中華軍に身を投じた、化学に強い日本の左翼闘士がしゃしゃり出た。
 「この調子で進めば、春雷節までにマオ主席のご来臨をあおげるある」
 いわゆる学者バカ。彼らは世事に疎い。数日前、自分たちにこの極秘研究任務を与えたマオ主席が、作過によってこの世を去っていることも、壁新聞を読む習慣のない彼らは、知る由もなかった。
 五星赤旗を先頭に赤衛兵(せきえいへい)が踏み込んで来た。
 これまで研究員たちのご機嫌伺いを実質的な職務にしていた地区公安部の男が尊大にいった。
 「お前達は反革命分子ある。粛清するから覚悟するよろし」
 事態の急変を察知しながらも、徐は威厳を保って言った。
 「我々は、マオ主席の直命を忠実に遂行しているよ、ぽこぺん」
 「ふん。だったら、そのマオ主席を呼んで来るよろし」
 言いながら公安は、主席の死を報じる号外をつきつけた。
 人民国家では、乙女心と同じサイクルで立場が入れ替わる。
 「アイヤー」
 研究員たちは号泣し、昨夜、解放軍と名称を改めたばかりの赤衛兵たちが騒ぎ出した。
 「自己批判しる!自己批判しる!自己批判しる!」
 三十人の科学者、技術者、そして事務職の局員は、その場で新聞紙の三角帽子を被り、自己批判を強いられた。しかるのち、息子や孫のような若い解放軍兵士たちの手によって小突かれ、順番に縊り殺されると、その遺骸は彼ら自身が開発した重化ソーダの池に投げ込まれた。
 公安部員も、幼い兵士たちも、得体の知れない液体は、ここで働いていた連中同様、革命の路線から抹消すべきマオ体制の遺物としか認識していなかった。
 最後の一人となった徐来福は助命を願ったが、聞き入れられなかった。
 研究施設はただちに解体され、徐たちの死体を浸す水槽も瓦礫で埋め立てられた。



 ・・・それから四十年の月日が流れた。



 ニュースターミナルはテレビ旭日の目玉番組だ。
 辛口キャスターの久我寿がデスクに戻ると、
 「お疲れさん」
 ねぎらうディレクターに、久我は釈然としない口調で原稿を押し付けた。
 「もっと反米感情を煽る素材がほしいな。視聴者が求めているのは、ありきたりのヒューマニズムでなく、刺激なんだよ。刺激」
 テレビ旭日の生き字引と呼ばれる嘱託のディレクターは、当年五十八歳の久我よりずっと年上だった。だが、その口先の魔術師ぶりを社の上層部に惚れ込まれ、他局から引き抜かれて来た男は、裏方をすっかり自分の部下として扱っていた。
 交換台を経由して、外線電話がとび込んできたのは、その時だった。
 『やあ、久我くんかい』
 馴れ馴れしい調子でしゃべるのは、学生運動に従事していた久我の、セクトの先輩だった。
 「やあ、岡本さん。元気そうですね」
 『特ダネがあるぜ』
 やれやれまたか、と言わんばかりに久我はネクタイを緩めた。
 「なんです」
 前衛芸術家を自称しているが、岡本はさっぱり売れない。個展を開いたことも幾度かあるが、ガラクタや電気機器を多用した作品は、大衆の理解も興味も得られず、いつも持ち出しで終わっていた。それでも確かに常人と神経回路は違うらしく、生きるため、現在有力な地位を築いている昔の活動家仲間のコネを頼りに胡乱な興行師をしていた。
 『揚子江の近くにさ、とてもいい雰囲気の廃墟を見つけたんだ。廃墟には広い空き地がついていてね、これがまた絶妙なんだよ。なあ、ここで美女コンテストをやらないか』
 あまりのばかばかしさに、さすがの久我も眩暈を覚えた。
 「どうして廃墟なのさ?」
 『わからないかなあ、キミには。美女と廃墟の取り合わせが、どれほどシュールで素晴らしいか』
 この程度のセンスだから、岡本は売れないのである。だが、セクトの序列は一面、国粋主義者の多い体育会より厳格だった。久我は協力を約束せざるを得なかった。
 場所は南京に近いという。
 十二月十二日の南京陥落にイベントを引っ掛ければ、過去の日本人の犯罪行為と、自分たちの善良さを対比させることができ、ちょっとは面白い企画になるかも知れない。
 久我は低劣な美女コンテストの呼び名を任意で握りつぶすと、抽出した雛型に自分の案を盛り込み、電話の交換台を呼び出した。



 平和憲法党の土門たま子党首は、旧日本軍の蛮行を暴き立てることに無上の生き甲斐を感じていた。まともな知能がある人には、あからさまに捏造と判る程度のインチキも、大袈裟に吹聴、糾弾することで、無垢なる人民の脳裏に真実として刻み付けることができる。いみじくも近代ドイツの政治家エドールッフ・ヒットラアの信念を立証して見せたわけである。
 しかし、この秋、大泉首相が鎖国体制を敷く超軍事国家北チョンを訪れ、これまで北チョンが誘拐してきた日本人の幾人かが解放されると、久しく北チョンのロビーを自認していたのが裏目に出て、平和憲法党の売国奴ぶりが白日の下に晒されるけっかとなり、土門一味は、世間からまるで相手にされなくなっていた。
 「あーなたっ!いったい何を言ってるのっ!」
 平和憲法党の党本部の、すべての窓ガラスが震撼した。
 大目玉をくらって頭を抱える男性職員は、卑屈な教員顔をしていた。
 「しかし、代表。この案件は、久我寿氏からのたっての打診でありまして。名誉挽回、いや、党勢拡大のよいチャンスではありませんか」
 久我は、一筋縄ではいかない中華共和国との折衝を、かつて大屠殺記念館の落成で南京と縁を深めた平和憲法党に代行させようと、因循姑息なプランを立てていた。
 「駄目なものは駄目!」
 土門たま子は雄々しく吼えた。
 「ジェンダーフリーの常識から見ても、このような女性を商品と見なすような、下品で、軽薄で、いかがわしい行事への参画は、絶対に許しません」
 党の切り込み隊長と脳足りんアイドルというべき辻聖美と藁陽子が、揃いのディパックを背にして、はしゃぎながら飛び込んできた。
 「代表。ええんやないの。副島さんもモデルとして出演される言うてはるし」
 「中国でファッションショーなんて、楽しそうですね!あたし、行きます」
 何時の間にか、美人コンテストはファッションショーに摩り替わっていた。
 総表上がりの男性職員が、あらためて耳打ちした、
 「オフレコですが、真の主役は土門代表。あなたですよ」
 むすっとした岩のような顔で、土門たま子は言った、
 「よろしい。プログラムに、私の憲法講座を盛り込むなら、検討しましょう」 




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