ご近所徘徊 |
私は所謂「Uターン組」である。 タイへ出稼ぎに行き、97年秋の通貨危機で破産し、実質落武者のようなていたらくで産土へ舞い戻ってきた。 子供時代を通じて、かつてはベッドタウンという地域の特質ゆえか、故郷を象徴する普遍的なチャーミングポイントを見つけ出す気にさえならなかった。 都心に近くて閑静な環境とあって、小金井に住む著名人は決して少なくない。だが、「小金井生まれの偉人」となると、博徒にしてNGO運動の先駆け的存在、小金井小次郎親分と、あまり世間一般に知られていないが、イスラム世界と関わる日本人なら忘れてならない田中逸平博士の二人くらいではなかろうか。 また、「スタジオジブリ」はあくまでも持ち込まれた名所であり、「開かずの踏み切り」は皮肉屋にとって貴重な観光資源と言えなくもないが、真面目に論じれば住民の無気力ぶりを物語る「恥」以外の何物でもない。 つらつら反省するに、タイをベースに活動していた頃の私は、まったくと言っていいほど「郷里」を省みることをしなかった。 しかし、バガボンドの身の上となり、暇にあかせて地元を散歩するようになって、東京都らしからぬ広い魅力的な空を見上げるうち、破産した頃の自分が単なる根無し草だったことに気がついた。まともに生活し、まともに働いている人にしてみれば、言わずもがなのことだろうが、私にとっては大発見だった。 海外で活躍している日本人で、常に国許を意識している人のことはあまり聞かない。反対に、地元にべったり貼り付いている人は、しばしば「遠い外国のことなんか知らん」といった態度を覗かせる。 …両方、違うんじゃないだろうか? と、思うようになってきた。 おもんばかれば、小金井の空も、バンコクの空も、とどのつまり、ひとつである。この町に根を張り直して、地方や海外の活動に従事するのは、ちっとも不自然なことではない。 そんなわけで、私は現在、生まれ育った小金井をあらゆる活動の策源地と考えているのである。
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