松山パゴダ

 インパール作戦やイラワジ会戦に参加した悲劇の部隊には、四国の人が多かった。おいらの曾爺さんの生地、徳島県の眉山にもビルマ様式のパゴダがある。松山にも当然のよえに、パゴダがあった。


 西条で海軍の関中佐たちに御挨拶した以上、こちらにも参らねば義理が通らない。ましてや、おいらの家は代々陸軍なんだし、おいら自身、インドシナをうろつく浪人なんだから・・・




・・・久しぶりに見るビルマ文字。

ファイティング・ピーコックとは無縁の優雅な孔雀が天井を舞う。
 これだけ弔いを絶やさずにいてくれるのなら、「反戦思想」にも説得力がある。おいらだって、自分が東京を発った「3月10日」が、陸軍記念日であると同時に、東京の人間として、何の日であるかは十分承知しているし、その晩、アメリカ人に蒸し焼きにされた四歳の叔父のことを記憶から消すつもりはみじんもない。
 しかし、イラク問題や憲法九条云々の議論は、まったく別次元の問題ではありやせんかね。

 合掌・・・・


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