寝台急行銀河と伊予西条

 3月12日と13日の二日間、愛媛県松山市内で行われる農機展示会に出向することになった。設営作業は前日の夕方なので、11日の朝に新幹線で出かけても十分間に合うけれど、せっかく愛媛まで「旅行」させてもらえるんだから、以前から訪ねてみたいと思っていた場所に立ち寄らない手はない。しかし展示会は昼間いっぱい行われるし、週明けには次の予定が入っているので、道草は設営の前に食っておく必要があった。
 そんなわけで、少しでも11日午前の時間を稼ぐため、10日の23時東京発「寝台急行銀河」で早朝の新大阪へ進出し、のぞみで岡山、岡山からしおかぜで最初の目的地へ向かう手はずを整えた。ちなみに新大阪までの運賃の差額は、のぞみより1,200円ばかり高い程度である。
 ・・・と、まあ、偉そうに言ってみても、車両を24系25型と識別するのが精一杯。職業的な鉄道マニアじゃなし、プルートレインが消えた現在、銀河なんて寝台列車が走っていること自体、おいらは知らなかった。そもそもタイやインドでは日常的な移動手段にしている寝台車だが、自分の祖国でお世話になるのは何を隠そう、生まれて初めてである。否応無しに忙しなく、「すげー。寝巻きまで用意されているぞ。まるでハウルの動くビジネスホテルだねぇ」などと独り言を口走りながら、あれこれ検分してまわる。寝台は、いかにもウサギ小屋の国民向けらしく、亜細亜の途上国のそれらより狭かった。
 日付が変わって01:48。今回、こっちのシノギではデビュー戦となるプラザ13こと静岡の塾長が、静岡駅で乗車してきた。喫煙車は最後尾の六号車一両だけなので、恙無く合流。おまけに塾長の寝台はおいらの真上だった。


あくる朝、新大阪、岡山を経由して、特急しおかぜで瀬戸大橋をわたる・・・


そして最初の目的地、伊予西条に着いたのは10:14のことですた。

この町にプラザ13先輩とやって来たのは因縁である。

おいらは昨年九月に先輩にフィリッピンのマバラカットに連れて行ってもらった。



 昭和19年10月25日早朝。マバラカットを飛び立って往った最初の特攻隊・敷島隊の指揮官、関行男大尉(中佐)の在所が、この西条市なのである。我々は平成南洋浪人として共通の意思から、ぜひとも同市大町の楢本神社へおもむき、敷島隊五軍神に挨拶申し上げておきたかったのである。
碑文と社殿。いちばん右端に見える家作風の建物は記念館。
   
境内に展示されている大和の主砲弾と記念館の250`爆弾(特攻機が搭載した同型のもの)。


関行男中佐以下五軍神(クリックすると大きく見れます)。


先代の石川宮司書墨。

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