夜だった。 見覚えのある中学校のグランドで、いくつもの人影がキャンプファイヤーを囲み、フォークダンスを踊っていた。 小さい頃からキャンプファイヤーも、フォークダンスも、能天気さが腹立たしかった。 少なくとも、おれ的には、カラオケ同様、いけ好かない余興である。 もちろん、ばかばかしい輪に加わったりせず、されど付き合いもあるので、傍観者を決め込んだ。 カラオケを連想したせいか、流れる音楽も、腑抜けたエコーがかかり、これだけ近くにいるというのに、まるで遠くでやっている盆踊り大会を眺めている気分だった。 蜻蛉のような影は、どれも顔が判別できず、どこか生命力も心もとなかった。 しかし、おれには、それらが幽霊や妖怪の類ではなく、かつてこの学校に在籍していた連中の残影であることがわかっている。 彼らの実体は今、同じ空の下で、それぞれの人生を、それぞれの間尺で営んでいるはずだ。 突然、ロシア民謡の「行商人」が、アップテンポで流れ始めた。 16ビート。フォークダンスなどという生易しいお遊戯では済まされない。 影たちは過激なコサックダンスに躍動する。 「おっす、N」 いつ現れたのか、顔の輪郭に責任あるK子が、呼び捨てで、おれに声をかけた。 「おす。元気か」 「まあね」 K子も同じ学び舎で三年間を送った同窓生である。 すると、このくだらない行事は、母校を会場にした、安上がりな同窓会か? ただし、頭の悪い幹事を見つけ出し、首を締め上げなければならないほど、おれは能動的な参加者ではなかった。 子供じみた祭りを尻目に、K子との、大人の会話を優先する。 「いま、どうしているの?」 「行商人」 嘘ではなかったが、女は忍び笑いで答えた。 「馬鹿は相変わらずだ」 K子の涼しげな眼差しは、中学生の頃から変化がない。 二十代の頃も、そして今も・・・今? どうして、この女は、容姿も二十代の頃と少しも変わっていないのだ? 「おまえ、もしかして」 言わんとする不吉なくだりを察知して、K子は破顔一笑、おれの二の腕を叩く。 「失礼ね。ちゃんと生きているわよ」 そうだ。二十四の初夏を最後に、K子と会ったことは一度もない。 その時の印象が、三十路も終わりに近づいた女を、揶揄的に若く見せている。 とは言い条、・・・はぐらかしは、彼女の常套手段だった。 油断は禁物なのである。 この存在感ある女が幽霊でないという保証はどこにもない。 中学時代、K子を好きになってしまったために、おれはその後の人生を、価値観を、成年男子の標準値から大きく逸脱させていた。 理想の女性像、距離を保った関係のみから得られる幸福感、結婚観の否定、そして女性不信。 すべての権輿は、眼前の女に収斂していく。 もちろんK子には何の落ち度もない。 気まぐれは、軽はずみと同じく、女の特性である。 誤解を怖れず、あえて言うなら、K子は悪意が欠落した魔性をひめる女だった。 そんな摂理も弁えていないくせに、彼女に惚れた青二才が浅はかだった。 「踊りはあたし。ロシアはNの領分ね」 ロシアの調べで踊り狂う影の群れを省みて、踊りが大好きな女は嬉しそうにいった。 「それがどうした」 不快感をおぼえたおれは、輓近めっきり錆付いたロシア語で呟いたかも知れない。 考えてみれば、夢の中ならいざ知らず、現実の世界では自尊心ゆえに、二度と顔を見たくない女が、K子だった。 にもかかわらず、苦しい。 究境、おれは骨の髄からこの女を愛し続けているのか? 自問は、愚問だった。 踊りの輪に加わる風でもなく、それでもK子は身を翻すと振り返り、 「忘れないでね、あたしのこと」 索然とした余韻を含んだ言葉をのこして去った。 こんな無責任な場所で、いまさら何をしおらしく・・・ 歯軋りしながら、おれはいつまでも、ツンドラの大地に響きわたる行商人の曲に、ただひとり、耳を傾けていた。 |