出口のない朝


 朝日新聞のテレビ欄をめくると、写真つきの訃報記事が目にとまった。
 人懐こい大きな目をした坊主頭の老人は、馬のように顔が長かった。

 =ノーベル賞作家 三島由紀夫氏死去 七十六歳=

 ・・・写真は紛れもなく、老人になったミシマの顔だった。
 しばし驚愕の沈黙を経て、声をあげて笑う。三島がずっと前に割腹自決で死んだことは、周知の事実ではないか。幼稚園に通っていた俺だって、昭和四十五年十一月二十五日の昼飯時にブラウン管から飛び込んできた異様な空気は鮮明におぼえている。
 にもかかわらず、なんで、また?
 よしんば今日がエイプリルフールだとしても、妙な企画である。どぎつすぎる。
 おまけに朝日新聞なんだから、不謹慎な真似をすれば、たちどころに楯の会のOBに叩き潰されることも承知しているはずだ。
 にもかかわらず、しめやかな記事は大真面目に続き、[喪主は夫人の瑶子さん]と、淡白に典範の案内で締めくくられていた。考えれば考えるほど、意味不明な喧嘩の売り方である。こんな冗談に、いったいどんな値打ちがある?あらためて、食い入るように、最初から記事を読む。
 「豊穣の海」は、代表作のほぼ真中にあった。だが、きわめて興味深い、それ以降の作品タイトルを見落としてしまうほど目を引いたのは、略歴の中に見出した「昭和四十五年十一月二十五日に起きた、いわゆる”三島事件”で懲役刑・・・」のくだりだった。

 とんでもない歴史が始まるか、と思いきや、その後解説に挿入されているのは、オイルショックやロッキード事件といった、当り障りのない固有名詞ばかりだった。
 それでも、自分が今いる空間はパラレルワールドなのだ、と抵抗なく合点し、早くも順応をはじめた俺は、こちらの世界における”三島事件”の顛末を熟読し、晴れがましい大発見に幾度も膝を叩き、そして大筋を忘れた。「島」の字が「無」と誤植されていても、時系列を無視すれば似たような顛末に落着するはずだし、おのずと政治的意味合いが強調されて脳細胞に刻まれる。迷文を書く記者も少なからず知っているが、一般に名文家揃いの朝日にしては、よほどお粗末な文章だったに違いない。

 俺は国連などアテにしていない。国連は倫理を問う世界連邦の元老院にあらずして、本性をむきだしにした列強が、脂ぎった恣意と生臭い国益を押し通す談合現場に他ならない、と認識するからだ。したがって、三島が提唱していた国軍の二元論は根底から整合性を失う。国連の機構に組み入れられた自衛隊には、悲劇詩人は言わずもがな、バイロンだって近寄ってはならない。
 それが、記事から読み取れるささやかな教訓だろうか?
 クーデターが水泡に帰し、後半生の三島は何とも親しみにくい表題で漢文調の書物ばかり著していた。かつては黒曜石の輝きを見せた天才の、失意の深さが凡人にも容易に伺える。凡人に失意を気取られるようでは、天才も終わりである。やはり、三島はあの事件で死んだのだ。
 老残の三島は、三島であって、三島ではない。
 それにしても、多磨霊園にある平岡公威の墓はどうなっているのだろうか。



夢日記



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