天邪鬼の言い分

平成15年上半期


 序に代えて (黒象会館桃源郷より移転)

 もし、このサイトへ日頃の小生を知る御仁が迷い込んできたら、おそらくトップページの「度が過ぎる偽善ぶり」を目の当たりにして、生命の危険にさらされるほど抱腹絶倒なさるのではあるまいか。
 だが、誤解されても困る。小生は自分を"自覚なき偽善者"ほどの悪党だとは思っていない。歴史を顧みれば、自らの「正義」を妄信するあまり、結果的にとんでもない間違いを冒しているやつが幾らでもいる。
 しばしば用いる喩えだが、暴力団員と銀行員の違いとは、ひとえに自身がヤクザだという自覚があるかないか、という点に尽きるのではないか、ということである。こんな言い方をすると、子供の頃から真面目に勉強を続けた結果、晴れて「エリート銀行員」になった人から猛反発を受けるだろうが、そうした人こそ、小生が言う"自覚なき偽善者"なのである。銀行業務の要訣は、他人の財産を右から左へ、左から右へ運用して利ざやを稼ぎ出すことに尽きよう。衣食住を不可欠とする人間でありながら、分業社会の中で「生産」にまったく寄与していない。こうした稼業を一昔前の人々は"やくざな"と形容したのである。澁澤栄一は立派な人だが、明治時代の銀行員は親戚一堂が集まるような席で、「銀行に勤めています」などとは口が裂けても言えなかったという。坂口安吾も指摘している通り、問われるべきは、ようするに本質であろう。金融業といえば、小生も一時期、損保の代理店をしたことがあるけれど、無尽講あらため保険という商売も、つくずく"合法的な詐欺"だと感じたものである。他に株屋も然りだ。
 だからと言って、小生は銀行員や保険屋、証券マンの人格までも否定しようとは思わない。自身がヤクザだという明確な自覚さえ持ってもらえれば、"同時代を一所懸命に生きるはらから"として、相応の敬意を払う用意がある。
 ・・・まあ、こうした憎まれ口ばかり叩いていると、次第にまともな友達が少なり、社会のマジョリティからも異端視されはじめるものだ。俵万智が堂々と「歌人」を自称できるのは昭和後期・平成という弛緩しきった時代の恩恵に過ぎず、種田山頭火にまれ、ピアゾラにまれ、様式を破壊しようとする者は、放浪暮らしやブーイングといった孤立を余儀なくされるのが常だった。また、異端者の代名詞になりかねない哲学者・サド侯爵の場合は生涯の半分以上を世間から隔絶された監獄で送っている(この人には、のちの世の偏見の材料となる様々な問題があったのは間違いなさそうだが)。 それでも、これだけ社会情勢が逼迫してくると、政治も経済も、従来のやり方ではどうにもならなくなる。厚かましい、との謗りを受けようと、異端は異端なりに声を大にして意見を開陳するのが、社会に対する真の恩返しであろう。
 いま、小泉首相が必死になって状況を打開しようと努めている。小生は自民党員でもなければ、かつての小泉ブームに付和雷同した者でもないが、いまははっきり同首相の仕事を支持している。しかしながら、各種の世論調査の集計結果を見ると、一頃の騒ぎは一体どこへ行ったのか、「改革がぜんぜん進まないから期待しない」などという不支持論が目立つ。ばかを言ってはいけない。いま、孫と戯れているような年代の人々が学生服を身に着けていた頃からはじまった社会矛盾を、たったの一年や二年で、どれだけ解決できるというのか? 虫が良すぎる。 それに、若い人ならいざ知らず、これまで政治に関心を払わず、赤字国債やバブル経済という「借金」漬けの生活を謳歌しながら、中流意識などという寝言を垂れていたのは、どこの誰だ?小泉純一郎や竹中平蔵ばかりに責任を押し付けるんじゃない !!!
 (一応断っておくが、小生は竹中改革については反対の立場をとっているけれど、橋本や野中といった連中の料簡はいったい何なのだ? 何十年も歳費をもらってプロの政治家の肩書きをぶら下げていたのに、三田の学者に為政者のお鉢を奪われざるを得なかった自分たちの役立たずぶりを棚上げにして・・・彼らの竹中批判は、問答無用に見苦しい)
 いずれにしても、「天邪鬼の異端者」とは、世の乱痴気騒ぎを蚊帳の外からひややかに眺めている傍観者に過ぎないのである。(と、断定する・・・)



 つれづれ思ふこと(5月)

 石原慎太郎氏が都知事に再選した。得票率は約七割。実質的な単独候補でありながら、意想外の「苦戦」だったと言わざるを得ない。
 私は不在者投票で、不本意乍ら「石原慎太郎」と記入した。候補者は齢七十歳。かねてより、ふたたび中央政界へ押し出して、内閣総理大臣としての快刀乱麻を期待していたからだ。しかし、それ以上に深刻な不安感と自己嫌悪がこみ上げる。
 この四年間、石原都政に快哉を叫ぶばかりで、ついに有為な後継者を擁立することもできず、同氏にあらためて都知事就任をお願いせざるを得なかった今回の選挙は、東京青年のだらしなさと刹那主義を浮き彫りにした。我々は、いつまで、石原氏の脛をかじり続ければ気が済むのか?ついでに論えば、五十代と四十代には畢竟人物がいないのか?(個人的には現杉並区長の山田宏氏あたりに期待しているのだが…)
 「石原勝利」を喜ぶ現下の平和ボケぶりでは、およそ我が陣営に「四年後」はいないもの、と絶望せざるを得ない。



雑談系




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